ウクライナ ヒマワリの国へ

桃の日の国から届けヒマワリへ

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ロダンカレーの市民 のうちの一体  捕虜として名乗りを上げた市民)

 

ウクライナ情勢から連日目が離せない。

ウクライナの市民が、女性も若者も銃の使い方を教わり火炎瓶を作っている様は英雄的に見えるし、反面また恐ろしい状態だ。国を守るという、日本国民が学校でも社会でもほとんど教えられてこなかったことを、目の前で教えられている気がする。

ウクライナのおばさんがロシア兵に「帰りなさい。このヒマワリの種をポケットに入れなさい。あなたが死んだらそこから芽が出てヒマワリが咲くだろうから」と激しく言い寄る光景もあった。勇気のある人だ。

 

私は、ロダンの「カレーの市民」を思い出していた。

静岡の県立美術館にはロダン館があり、巨大な「地獄の門」も置かれていて、収蔵品も立派である。ここに「カレーの市民」という有名な作品もある。この説明を見ると、ロシアのウクライナ侵略とダブってくる。

 

カレーの市民」の説明はこう書かれている。

イギリスとフランスは百年もの間王位の継承や領土の問題で争っていた。北フランスのカレーの港町はイギリスに最も近いことから攻撃されやすく、1347年にはイギリス王エドワード3世が市(まち)を包囲した。王はカレー市を代表する6人の身柄と、市の城壁の鍵の引き渡しを求めた。
この時最初に人質になると名乗りを上げたのが、町の長老ユスターシュ・ド・サン=ピエール。その後5人も死を覚悟して、首に縄を巻き、下着姿で裸足のまま王の陣に赴いた。
当時の記録によると、彼らがイギリス王の前に進み、首をはねられようとする寸前、王妃が彼らを助けるよう願い、王もそれを許したと伝えられる。このエピソードは、フランス人の愛国心と犠牲的精神の象徴ともなった。(静岡県立美術館のHPから)

 

ロダンに英雄の像を依頼した市民は、絶望する普通の人間像をみてがっかりしたようだ。またロダンはこの像を台座なしに地面の高さに置く計画だったが、当初はそれは認められなかったのだという。当ロダン館の市民像は、群像ではなく個別6体になっている。)

 

日本にも、こうした市民の英雄はいたに違いない。先の大戦でも多くの人が、祖国を、妻や子を守るために多くの犠牲を払った。しかしそれは、侵略政策のもたらした犠牲であり、市民が血で勝ち取った自由と権利の尊さを守るものではなかった。

けれど日本がいつか、ウクライナのように侵略から国を守るという事態が起こらないことを望むばかりだ。それには、国に騙されないことが大切だということが良くわかった。

 

ウクライナ侵略

ウクライナ戦火の中に二月果つ

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まさかの軍事侵略が行われている。

アメリカが情報を出すたびに、「そんなバカな」と思っていたが、そのとおりになってしまった。事態は西側諸国が警戒していた最悪の事態となっている。

プーチンはやむを得ない選択とうそぶき、核使用もほのめかす発言をしている。正気とは思えない。プーチンやロシアを見る目が、少し甘かったかもしれない。日本はやはり平和ボケか。

それにしても、権力は腐るものだが、大国の長期政権はまさに世界の元凶だ。ロシアの幹部会議の映像を見ると、反対すれば粛清される雰囲気がありありだった。絶対に長期政権を作ってはならない。

 

ウクライナといっても、私にはほとんど知識がない。穀倉地帯、チェルノブイリ、ひまわり、コサック。ほかに「ピーターと狼」の作曲家プロコフィエフ、ピアニストのホロビッツの出身地だ。二人の音楽家はいずれもアメリカにわたり、ソビエトと欧米のはざまで曲折ある生涯を送った。この二人を見るだけでも、地政学的に難しい国だという感じがする。

とりあえず戦火が収まるよう、事態を見守るしかない。

それにしても、国連が無力だ。安保理常任理事国の制度を変える方法はないのだろうか?

 

静岡市の名もなき山稜を歩く(麻機アルプス?) (権現山から子供病院まで)

春浅し辿るかすかな獣道

 

静岡市の平野に、北部から流れ込んでくる山の尾根筋が何本かある。よく知られているのは、賤機山といわれる山稜で、静岡の街の中まで伸びてきて、先端部に静岡浅間神社があり、ハイカーが良く歩くコースである。

今回歩いたのは、賤機山稜の東側に走るもので、竜爪山から尾根を分けてきて、県立こども病院の裏に続いている尾根。(写真)

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(中央左奥が権現山 ここから右の尾根を辿った)

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(アップダウンが続く山稜 左から右へと辿った)

 

この稜線には名前が特に無いようで、一部のハイカーが「麻機(あさはた)アルプス」と呼んでいると聞いたこともあるのだが。適切な名前だと思い、使わせていただく。

(麻機丘陵と記している本もある)

このルートを3回に分けて、合計約4.5㎞を歩いてみた。

出発は権現山といわれる479mのピーク付近。近くまで農道があるので、それを利用する。道の終点付近には最近太陽光発電のパネルが大規模に広がり、この開発のお蔭で、尾根のルートが全く分からない状態になっていて、とんでもないひどい藪漕ぎを強いられた。

尾根筋は、343m、205mの三角点を通って徐々に下ってくるとは言うものの、アップダウンを繰り返し老体にはなかなか手ごわいルートである。

しかしコース中には随所に巨木が神妙な空間をつくり、亭々とした檜杉の林や、左右に落ち込む痩せ尾根での高度感、また普段見られない新東名高速を見下ろすことができたり、一面に広がる麻機の沼、その向こうに静岡のビル群を望むこともできる。変化と魅力に富んだコースであった。

残念ながらマイナーなので整備は不十分であり、コース案内もないし、場所によっては踏み跡も薄い。展望ももう少し確保したい。繁茂した木を伐る必要があるだろう。しかし上記のように、なかなか魅力あふれるコースであり、とても良いハイキングコースになる資源は十分にある。

今回は友人と目印テープを枝に巻き、倒木を移動したりの若干のコース整理をしながらのハイクだったが、山のよさを堪能した。是非多くの人が歩いてこの山稜の魅力を楽しんでもらいたいものだ。

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(新東名を見下ろす、前方は新東名安倍川橋 この茶園は立派、右は荒れている)

この山は里山といっていいのだろう。

尾根筋には茶畑やタケノコ園がみられたが、大半は手入れがされず放置されたままで荒れていた。モノラックも何条も走っていたが、錆びついていた。村人が通って作物を作っていたのは、昔のことではない。つい10年前までは多分手入れがされていたのだろう。先人の苦労が目に見えるようだ。

日本人を養ってきた農は、荒れ切ってしまった感があり、豊かさとは何か、などと言う疑問もわいてくる。

静岡にハクチョウ

白鳥の鼻の黄色き二月かな

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近くの遊水地に、昨年に続いて今年も白鳥が4羽姿を見せた。10日ほど前に見て以来、情報もないので、まだいるのだろうか。広い湿地なのでなかなか見つけるのは難しい。

友人にも教えたのだが、私の見た場所では、確認できなかったようだ。

 

ハクチョウにはオオハクチョウコハクチョウがあるが、その見分け方は、体躯の大きさは別にして、鼻に見られる黄色の部分の形で区別できるという。オオハクチョウのそれは鋭角に鼻の先方に突き出し、コハクチョウでは突き出していない。

という知識で見ると、どうやらここに来ているのはコハクチョウかなと思える。

 

記紀ではヤマトタケルが能褒野に葬られた後、白鳥となって河内の国に飛来し、そこにも陵をつくったが、最後は空の彼方に飛び去ってしまう。古事記では有名な文学的な場面だ。古事記では景行天皇の条に、「八尋白智鳥(しろちどり)」と出てくる。陵は白鳥陵。ただしこの白鳥が、今でいうハクチョウなのかは良くわからない。

 

万葉集では、白鳥(しらとり)が2か所出てくる。

白鳥の飛羽山松の待ちつつそわが恋ひわたるこの月ごろを (巻第4 588)

白鳥の鷺坂山の松蔭に宿りて行かな夜も更けゆくを (巻第9 1687)

 

2首目は鷺坂山だから鷺だろう。

1首目の飛羽山は中西進さんの解説では所在不明としている。こちらは、渡ってくるのを待っているというから、ハクチョウに取れそうだ。飛羽=鳥羽を連想するのだが。

古事記では白鳥が英雄の霊魂として美しく登場するのに対して、万葉ではほとんど歌が無いのは、どうしたわけだろう。白い鳥というだけであまり区分も意識されていないし、関心が低かったように思える。

巻第2 210に 亡き妻が「大鳥の 羽易(はが)いの山に」いると人麻呂が歌っているが、むしろこうした大きさで捉えていたかもしれない。

 

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私はこのハクチョウたちが空を飛んでいるところを見ていない。いつも水面を泳いでいるときだけである。余り根気がないので舞いあがるまで待っていることがないのだ。もう沼の縁には菜の花が黄色に咲いている。

ものの芽 3枚

ものの芽や赤子のちんちんつまみたし

 

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これはチューリップ 玉が小さいので、今年は咲くかどうか?

 

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これはバイモユリ これが一番早く咲きそう

 

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これはムサシアブミ まだ冷えるのにこんなに芽を伸ばして大丈夫か?

ペリリュー ―楽園のゲルニカ―

ペリリュー戦記読んで大寒を震えおり

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(主人公が命を懸けて投降する場面)

「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」全11巻を読み終えた。白泉社から出ているコミックで、著者は武田一義さん、原案協力:平塚柾緒さん(太平洋戦争研究会)と記されている。

 

ペリリュー島は、先の天皇皇后が特に希望して慰霊に訪れたことで知った方が多いのではないか。私もそれまでは知識がなかった。パラオ共和国の小さい島である。ここに飛行場を持っていた日本軍約1万は、進攻してくるアメリカ軍4万余に対し文字通り死守する闘いをしたのだが、1944年11月に玉砕した。しかし、敗残兵は玉砕ではなく持久戦を命令され、悲惨な逃走を強いられる。食べ物がない。隠れ家がない。米軍のしらみつぶしの兵狩りと闘い、負傷、病気の手当てができない。そんな中で兵は次々に息を引き取っていく。飢えと病気のみじめな死。そして終戦も伝えらないままに最後まで生き残った34人の闘いが描かれている。

 

主人公は漫画家志望の気の良い男で、画面は幾分可愛らしいキャラで描かれ、劇画調ではないので、幾分ストレスは少ない、が描かれた内容は厳しい。

敗戦から足掛け2年の1947年2月、主人公は、戦争が終わっているのではないかと疑いを深め、仲間から砲撃を浴びながら脱走し、白旗を挙げて米軍に投降する。日本軍では投降するものは死刑だったのだ。果たして戦争はとっくに終わっていた。彼は、みなと協力して、居残る兵士たちの家族の手紙を取り寄せて何とか仲間の説得に成功し救出する。最後の最後に親友を亡くしたり、時の上官は帰国を拒否し失明したままこの島に残るなど、描かれる多様な人物像も複雑でリアルである。この漫画に書かれたことの多くは、事実に違いない。

およそ近代の軍隊とは名ばかりの、連合赤軍を思わせる、精神だけの破滅軍団という印象であり慄然とする。

ペリリューでは10,000を超える軍人・軍属が死亡、遺骨回収は8,000体ほどだという。天皇がペリリューに赴き頭を垂れた姿を死者たちはどう見ていただろうか。

この漫画を描いた武田さんは、まだ若い40代だ。こうした作品を書ける能力と意欲にただ敬服する。またこの漫画が戦記物としては異例のヒットをしたと聞くと、なぜか嬉しい気持ちになる。

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(最終第11巻の表紙。生き残ったもの、戦死した者たちが全員楽しそうに南国の海を泳いでいる。素晴らしい絵だ。)

 

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私は図書館で借りて、このコミックを読んだ。昔リクエストをしたら、図書館は漫画を購入しないといわれたことがあったが、そうではなさそうなので、ありがたい。そこらの教科書よりもずっと「ため」になる。「風雲児たち」が欠巻になっているので、ぜひこれを購入してほしいものだ。

餌台のメジロとヒヨ

寒厳し餌台の鳥の脚ほそし

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例年以上に今年は寒い。

この寒中でも野生の小鳥たちは餌を探して、何かを食べて生き残っている。つくづく大変だと思う。生きる時間の大半を餌探しに使う。生き甲斐さがしなんて人間だけ。

 

餌台にミカンを置いてやると、メジロが盛んにやってくる。大概がつがいで現れて、一羽が見張りをして交代でミカンを啜る。ほほえましい。

ところがヒヨドリが必ず勢いよく現れて、けたたましく鳴いてそれを追い払う。メジロは素早く逃げ去るが、ヒヨがいなくなるのを見計らってまたやってくる。そして残ったミカンをまた交代で啄む。こんなことの繰り返し。

 

で、ヒヨには悪いが、メジロの方が可愛いので、籠を用意して、その中にミカンを置いてみた。これは使わなくなった台所の食器籠で、網目は4cm×5cm。メジロは入れるがヒヨは無理だろう、と思った作戦。

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試してみると、メジロは素通りだが、ヒヨは賢いので警戒してなかなか入らない。だがそのうちにスルっと入りこんだ。思ったよりも体が細いのだ。では、いきなり驚かせれば慌てて中でバタバタするだろう、と思い、音を立てたら、実に巧みに網目をくぐって逃げてしまった。大したものだ。

それでもやはりヒヨは警戒して中に入ることが少なくなったので、メジロのチャンスは格段に増えることには相成った。

他の野鳥をも待っているのだが、なかなか来てくれない。