南部木挽き唄(随想ー3)


北斎のこの富岳三十六景は、東海道山中というタイトル。場所ははっきりしないが、現在の掛川市付近とも言われている。

木挽きは各地でこのように仕事をしていたのだろう、ようすが分かって興味深い。ただし南部木挽き唄にある移動集団とは少し違うようである。

画面下の方に目立てをしている人が見える。この作業には時間が要したようで、最後の江戸木挽き職人といわれる林さんは、「木挽きは、木を挽いている時間より目立ての時間の方が長いと言われています」ともいう。これが「今朝もやすりの音がする」という唄の歌詞にある作業らしい。

 

さて静岡県には、木挽き唄が残っているのだろうか?

どうやらその答えは、あまり期待できないようだ。民俗学の野本寛一氏は「静岡県の民謡」(*1)で次のように書いている。

静岡県天竜川流域、大井川流域、安倍川流域、伊豆、と木材の宝庫をかかえているだけに木挽き唄も伝承されているはずだと思い、ずいぶん尋ね歩いたが、いまだに耳にすることができない。」

だが野本氏は、旧佐久間町「「さくま郷土遺産保存館」館長の平賀孝晴氏が昭和42年8月に、同町今田の故坂本栄五郎さんから聴取された木挽き唄の歌詞がのこってい」たのを見つけ出して記載している。残念だが節は分からない。天竜川ぞいの木挽きの唄ったものだ。

 

♪ 木挽きを夫に持ちゃずいこの音も 三町先から耳につく

  ふしは木の枝堅いは木の性 挽ける挽けんは腕次第

   など11の歌詞が載せてある。

 

また、同氏は「田方郡史」にある歌詞2つを紹介している。これは伊豆での唄である。次はそのうちの一つ。

♪ 木挽きは三州の山へは住むが 樺木の葉は食べはせぬ(土肥)

ここでいう三州とは、三河のことで豊川、矢作川の上流に広がる山奥のことを言うのだろう。木挽き職人がこの辺りから伊豆に来ていたということを示唆しているように思える。だが、いずれにせよ、民謡としては取るべきものは無さそうだ。

 

宮本常一さんの「山に生きる人びと」には、杣と木挽きについても書かれている。

それによると、斧ではなく鋸を使っての伐採は、広島など瀬戸内海などの海岸地方が山中よりも技術が高かったという。それは船が構造船に代わっていく中で、「船材は木を挽き割って板にしたものが用いられる」ようになったからで、「造船工事に参加する木挽きたちが次第に山中に船材を求めて働くようになったものと思われる。」

そして、天竜川すじに入りこんだ木挽き職人は、遠江の掛塚の者だったとも書いている。「掛塚は天竜川河口の港で、そこの木挽きたちはやはり初め船板を挽いていたようであった。船板を挽くには特別の技術が必要であった。船板は長さ12尺・胴5寸~1尺で厚みが1寸であったという。」(*2)

北斎の絵に見える木材は、ここでいう船板の大きさと近いようで興味深い。

こうした人の移動を考えると、佐久間町あたりで唄われたのは、掛塚の木挽き職人から伝わった唄であったかもしれない。

 

大きな鋸を「おが」と呼ぶという。おが屑のおがである。木挽きは、おが一つで、正確に材を切り出した。

その技術は大変なものだったようで、わずかにそうした技術を垣間見させてくれるのは、「木を読む」(*3)を書いた林以一さんの言葉である。

林さんは、昭和4年の生まれで東京の木場の木挽き職人で、江戸木挽きの技術を伝える人だ。「私らは一分厚の板まで大鋸で挽きます」。一分というと3㎜である。恐ろしいほどの技術であるが、昭和30年ころから急激に仕事が減り、職人も減ってこの本で、全国でせいぜい10人と語っている。とすると現在では、こういう職人はいなくなったと思われる。

 

ユーチューブには各地の製材所が動画を上げている。巨大な樹木がものの数分で板になり、美しい木目が現れる映像は、見ていて飽きることがない。

しかし、木挽きの仕事はミリ単位で、材のロスが極めて少ない。だが人力は時間がかかる。林さんは言う。「挽く早さは、木の種類や大きさによっても違いますが、例えば樹齢150年、直径3尺(約90cm)、長さ20尺(約6m)ぐらいの欅をふたつに割るには、正味1日ちょっとかかりますね。ふたりで頑張って」

時代が変わってしまった。

 

民謡に唄われているように、木挽きがみじめな暮らしをしていたかというと、そうでもなかったようだ。林さんの言では、サラリーマンの3倍、大工の2倍の給料をとっていた時代もあったようだし、銘木などを扱うときは、その高い技術で全国から呼ばれたと書いている。林さんのような木挽きは特別だと思うが、地方の普通の木挽きについて、野本寛一氏は、「特殊技能者として、大量の板の需要を満たしてきた木挽きは、木挽き唄に出てくるようなわびしい生活のみではなかった。」として昭和10年の日当賃金表で、「賃金面でも評価されていた」と書いている。

 

どうやら木挽きの実体は、唄の辛く厳しいものとは、少し違うようだ。

木挽き唄から、雑想が続く。

 

*1 静岡県民俗芸能研究会「静岡県の民謡」静岡新聞社

*2 宮本常一 「山に生きる人びと」河出文庫

*3 林以一 「木を読む」―最後の江戸木挽き職人 小学館 1,996年発行

 

(「さくま郷土遺産保存館」に行きたいと思ってネットで調べてみたら、閉館となっている。浜松市政令指定都市になるにあたって、近隣の市町村を合併した。佐久間町もそのうちの一つである。やはり合併の行政効率化によって管理の手が届かなくなるのかな不安に思った。資料は今はどうなっているのだろうか。こういう小さい遺産が失われないことを祈る。大鋸(おが)を見に行きたいと思っている。)

 

以前、市に問い合わせをしておいたのだが、しばらくして忘れたころ、浜松市博物館から以下のメール回答が来た。

「お問い合わせいただきました「さくま郷土遺産保存館」につきましては、平成23年3月をもって閉館しています。
 所蔵していた資料の常設展示は行っていませんが、引き続き佐久間地域の施設内で管理しており、要望に応じて閲覧などの対応を行っています。」(7月1日)