アンコール遺跡のリンガ

私はヒンズーの神についてまるで知識がないのだが、リンガとヨニの形象について感ずるところがあったので、一の宮の番番外編としてアップする。「一の宮参拝記」は、別のwebでシリーズで掲載しているものだが、ホームページの管理が上手くいかないので、当座このブログに掲載することにする)

リンガとヨニ
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ヒンズー教ではリンガとヨニが大切な神のシンボルであり、それはしばしばヒンズー教3大神のひとりシヴァ神の化身と理解されている。
私は今回カンボジアのアンコール遺跡群を歩いて、初めてこのヒンズー教のリンガとヨニを見ることができた。あちこちにあるのだが、ガイドの説明を聞いてまじまじと見たのは、タ・プロムの遺跡である。リンガは写真のように、中央にある黒く太く丸い石の棒(棒というほど長くないが)であり、それを支える土台がヨニであって水が流れる浅い水盤のようになっている。排水口もあり、公園の水飲み口の風情である。これが大聖堂のど真ん中に据えつけられており、参拝者はリンガに水をかけて祈ったのだそうだ。
ヨニの中心からリンガが立ち上がっている構造は、女体の内側から見た構造といわれる。私的に大胆に言えば騎乗位・日本の茶臼のときの、性器結合の3D概念図ということだろう。というとセクシャルなものを想像し期待をするのが凡人だが、あにはからんや、実物は極めて抽象化された形態であり、やはり世界レベルの宗教シンボルに相応しいものとなっている。
 
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廃墟のまま残されるタ・プロム遺跡

とはいうものの、もともと氏素性はペニスとヴァギナである。
衣を着けていない、命への素直な賛美をこの形に表したのだろう。命とは何かという問いを煎じ詰めるところ、生殖への畏敬に帰着するのは不思議でもなんでもない。
昔の生物学者丘浅次郎さんという方がいた。その著に「生物学的人生観」(講談社学術文庫)があるが、そこに命を「食うて、生んで、死ぬ」と定義していた記憶がある。上下2巻にわたりたくさんの生き物の生殖や食餌などを網羅して解説し、その結果がこの定義である。まるで禅の偈のようにもみえてくる。つい連想が飛んでしまったが、命を肯定しその本質を堂々と神格化、抽象化すればリンガとヨニになるのは納得できる。
その点、日本の性器信仰は太古には普通に見られ、石の棒や女性器を誇張した土偶はだれもがしるところだが、いつか淫宗として日陰の神に貶められてしまった。性のプラスとマイナスは陰と陽の哲学に吸収され、中国からきた陰陽道儒教など理知的なものの前に表舞台から退散した。ヨーロッパでもキリスト教が地場の性のエネルギーや魑魅魍魎を退治してしまった。結果心理学者のユングが子どものころリンガの夢を見たように、無意識の世界に流竄せられることになった。
インド文明の照射していた東、東南アジア地域は、もっと健康に生物的に命の不思議を捕らえ、それを一定の高みにまで止揚したように思える。インドのヒンズー寺院の赤裸々な彫刻なども実物は見たことはないが、カンボジアのヒンズー寺院も幾分大人しいにしてもその流れの上にあり、そこに感じられるのは生命の肯定と謳歌だ。灼熱の太陽と焦熱。そこで生きているのは頭ではなく肉体である。インドはやはり中国、西洋とは違うのだ。
 
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レリーフの女神
日本では、たくさんの村の祠や神社に性神が祀られている。しかしリンガとヨニが哲学の衣をまとうことはなかったようだ。何千年も原型のまま雨風に晒されたままである。男神と女神といえば、その代表はサルダヒコとアメノウズメになるだろうか。一般にサルダヒコは赤ら顔で長い鼻を持つが、それは男根を想像させる。ウズメはアマテラスが岩戸に隠れたときに、ほとを出して踊り神々の笑いを惹き起こした。いずれも人格神であり、リンガとヨニのように性の根源を抽象的に神格化し、造形されることはなかったといえそうだ。インド文化の高度な抽象的思弁の一端をここにも見ていいのだろう。
 
 
*手元に丘浅次郎さんの本が見当たらないので、彼の定義がこの文句だったかおぼつかない。