アジサイ(アジサイ科)

アジサイの群青絵の具にありません


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「紫陽花」と書く花は、白楽天が名前のわからないきれいな花の名を問われて、そのときに名づけたという漢詩がある。この花を、平安時代の源順(みなもとのしたごう)が、アジサイとみなし「倭妙類聚集」という辞書に書き込み、以来「紫陽花」はアジサイということになっていた。この通説を覆して、牧野富太郎博士がアジサイはもともと日本原産で、古くに中国に渡ったことを提唱し、現在はそれが一般的な理解となっている。白楽天が「紫陽花」と書いた花が何なのか、確かめようもないのだが、当時日本から移入されたばかりで唐の知識人も知らなかったアジサイであった可能性はある。


ツバキにも似た事情があって、中国ではツバキは古く「海榴」あるいは「海石榴」と表記している。「ツバキという植物は、わが国から中国にわたって、海石榴の文字が与えられ、その文字が中国からわが国につたえられたものとみられる。」と桜井満氏は「万葉の植物」で考証している。
(参考までに)
http://book.geocities.jp/geru_shi_m/sinnnonohana/zuisou-104htm.htm
 
手まりの形をしたアジサイを、本アジサイという。本アジサイはもともと額アジサイを母種としてうまれた園芸品だという記述もあるので、白楽天の「紫陽花」がアジサイだとしたら、それは額アジサイの可能性もある。


母よ・・・

淡きかなしきもののふるなり

紫陽花色のもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風は吹くなり
と母への郷愁を詠ったのは三好達治。確かに色づき初めた淡くとらえどころのない花の色は、歯がゆくも切ない情感をうまく表している。だが私としては、三好のイメージしたアジサイは、額アジサイのほうがいいな、と思っている。手まり型のアジサイは、この詩の叙情には少し量感がありすぎる。額アジサイでも色が変わるものがあると思うのだが・・・よく知らない。勝手な空想である。

(参考:
「万葉の植物」 桜井満:雄山閣
    「花の文化史」 松田修 東京書籍 )