讃岐の一風変わった一の宮「田村神社」

所在地  香川県高松市一宮町286
ご祭神  倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、
五十狭芹彦命(吉備津彦命)、猿田彦命、天隠山命、天五田根命 の五柱
参拝日  2016年12月
 
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とにかく猥雑な何でもありという感じのする、一風変わった一の宮であった。
私が入ったのは裏口だったようで、大きな鳥居をくぐると正面に待っていたのは、なんと金ぴかの布袋さまだった。首を傾げながら進むと、桃太郎の像、赤い稲荷風の鳥居が並んでいて、ヤタガラス、讃岐の獅子頭の置物、さらに12支の彫刻。とにかくいろんなものが、所狭しと並んでいて、いわば神様が足の踏み場もないほどの満員電車なのである。
 
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少し進み、さてこれが本殿かと思うとさにあらず末社の「素婆倶羅社」そして「宇都伎神社」だという。とくに「宇都伎神社」は本殿と見まがう社殿を構え、鳥居もまた本殿のそれと同じほどの大きいものを競って並べている。
そしてようやく田村神社本殿。ここまで来ると、もうこの社殿に何の感興もわいてこない。取り立てて特徴のあるかまえとも思われない。
 
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田村神社拝殿)
社伝では、本殿の床下に御神体である湧水(こちらでは出水(ですい)という)があり、これはだれにも見せないのだと言う。これをみた奉行や大工が竜神に睨まれて死んだという話が伝わっている。水の確保が大変であった讃岐であるから、出水は貴重で神聖なものだったに違いない。これを汚したものは厳しく排除されたことの反映だろうか。
神社は「定水(さだみず)大明神」ともいわれ、水の神であることは、境内の様子からもうかがえる。
 
神池という小さな池には、宮島社が祀られ、弁財天もいて、竜神が水を吐き(止まっていた)、石の蛙が積み重なり、七福神が船に乗っていて、隙間がない。凡そ水に関連する神が寄せ集められている。
「宇都伎神社」の前には、金の玉を掲げる3mもありそうな龍の像が建っており、そこには金色の小判がたくさん納められている。一枚千円だという。商魂も逞しそうな雰囲気だ。
 
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さて、ご祭神は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)をはじめ五柱。とくに倭迹迹日百襲姫命は、奈良の纒向にある箸墓古墳の被埋葬者と伝えられる古代の有名な巫女である。彼女のもとにヤマトの三輪山の神が夜な夜な通い、姿を見たいと願うと神はヘビの姿を現した。彼女は驚いてしまったので神は辱められたといい、彼女はほとを箸で突いて亡くなった、という奇妙は話が残されている。箸墓古墳邪馬台国が奈良にあったのか、九州にあったのかの論争の中で、卑弥呼の墓ではないかとも論じられ話題を集めている古墳である。
 
その、倭迹迹日百襲姫が讃岐に祀られていることは、今回はじめて知った。
「五十狭芹彦命とともに西海鎮定の命を奉じて讃岐国に下り農業殖産の開祖神となった」と由緒書きにある。さらに五十狭芹彦命は、吉備国の祖神である吉備津彦である。系図ではモモソ姫は吉備津彦の姉であり、吉備津彦を祀る備中の一の宮である岡山の吉備津神社は相殿にモモソ姫を祀っている。吉備の祖神の姉として、この地方にはモモソ姫を祀る神社が少なくないようだ。
(数日後、瀬戸大橋をわたって、吉備津神社に参拝した。実は数年前に詣でた折には、改築中でその日本で指折りという華麗な姿を見ることができなかったのだった。確かに一度は見るべき美しい社殿である。)
 
古代史の一級の著名な巫女を祀りながら、民衆の要望、現世の欲望を全部引き受けてしまうとこうなるのだろうか。神仏分離前は寺社は一般には、こうした様子だったのかと思わせる姿であった。
水の神といえば、満濃池空海を連想する。田村神社を訪ねた翌日、私は満濃池に向かった。誰もいない静かな湖であった。食堂で讃岐うどんを食べながら、なに考えるともなく波一つない水面をしばらくの間眺めていた。
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満濃池を見つめる空海