バッハへの旅ー1 (聖トマス教会)

聖トマス教会訪ね入りたればオルガン響く滝つぼのごとく
 
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(こちらは教会の祭壇の裏側にあたる、正面は反対の西門)

いつかは訪れたいと思っていたバッハゆかりの地を、ツアー旅行で足早に一回りしてきた。ベルリン、ドレスデンライプチヒ、ワイマール、アイゼナハなどの旧東ドイツに属する町々である。これから少しずつそのメモをアップする予定。

ライプチヒの聖トーマス教会は、バッハが38歳から65歳で亡くなるまでの27年間、音楽監督を務め、200曲を越えるカンタータ、受難曲の傑作を生んだ所である。彼は教会の隣にあったトーマス学校の一角に住んでいたが、そこは現在はない。
ライプチヒは古来商都であったせいもあるのか、余り中世的なたたずまいは感じられない。ベルリンの壁崩壊の大きなうねりがこの地から起こったというガイドの話を伺って、なんとなく町の性格や、ひいてはバッハの器楽曲の新しい側面をなど音楽の一面も分る気もしたのだった。
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(こちらがいわば正面玄関)
トマス教会の外観も例外ではなく、厳めしいどころかやや無節操な継ぎはぎデザインで、正直いって私は拍子抜けした。およそお堅いバッハのイメージとは違っていたのだ。
 
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トーマス広場にはバッハの像が立ち、ここは誰もが写真を取るスポットだ。もちろん私も数枚パチリ。
バッハ門から内部に入る。現在バッハの墓が祭壇の前にある。またバッハやメンデルスゾーンの肖像のステンドグラスがあることも、多くの人が知るところだ。後方に頭上には大オルガン、その下で合唱が歌われた。祭壇に向かって左手の上部にいわゆるバッハオルガンがあり、これはバッハの頃の音を再現したもので自体は新しいものだという。
 
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(バッハの墓:墓地に葬られていて死後その所在もはっきりしなかったようである。墓地を掘り返しその遺骸をここに新たに納めた。辻荘一氏の本では彼はこの墓の上に立ったとあるが、今はここにあがれそうもない。(辻荘一著「J.S.バッハ」)
よくみると、バッハの名は祭壇側から見るように書かれている。ということは、遺骸は、祭壇に足を向けているのだろうか?または、祭壇に頭を向けていて、名前が頭側から書かれているのだろうか?)


とこうするうちにそのオルガンが響き始めた。よく耳にする曲だ。おそらくBWV552のプレリュードだ。どうやら練習らしく数分間の演奏後オルガニストは席を立ちライトが消えた。下からは彼の頭だけが見えた。
聖トマス教会でオルガンを聴くことが出来た。私の胸にジンとしたものがあふれてくる。
「バッハのもとに、ついに来ることができた!」
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