ドボルザークの歌劇「ルサルカ」水の精とは?ー3

アンデルセンの人魚姫は、泡になってしまうのだが、そこから想起するのは、青木繁の「わだつみのいろこのみや」の絵である。

この絵は、日本神話の海幸彦山幸彦の一場面を描いたもので、山幸彦が兄海幸彦の釣り針をなくして、それを探しに海の宮に今し降りてきたところである。海神の娘トヨタマビメは、手に壷を持ち赤い薄物を着て頬を紅潮させ、驚いた表情で天津神の御子山幸を見上げている。その眼は一目惚れをしたという目である。

そしてよく見ればそのつま先から、泡が上がっている。
この一条の泡が、水中という超現実的な舞台を表し、モチーフの神秘性を高めている。人魚姫とトヨタマビメに共通する泡が、時空を超えて両者を結びつける。
イメージ 1
青木繁の「わだつみのいろこの宮」
 
さて、山幸はトヨタマビメを妻とし、3年後失った釣り針を見つけ地上に戻るのだが、妊娠していたトヨタマビメは、陸上で出産しようと鵜の羽を葺草にして産屋を作った。ところが陣痛が激しくなりまだ産屋の屋根を葺き終わらないうちに産屋にはいった。
ここから産まれた御子を、ウガヤフキアズの命というのであり、のちの神武天皇である。
その出産のときの姿を見ないよう夫に頼んだが、夫はこの約束を破り産屋を覗き込むと、トヨタマビメは大きなワニになっていた。
 
「その方(まさ)に産みますを窃(ひそ)かに伺いたまへば、八尋(やひろ)和邇(わに)に化(な)りて匍匐(は)ひ委蛇(もごよ)ひき。即ち見驚き畏(かしこ)みて、遁(に)げ退(そ)きたまひき」 (「古事記」上 次田真幸訳)*2
 
イメージ 2
(宮崎県の鵜戸神宮。左手岩に洞窟があり、トヨタマビメがウガヤフキアエズ
生んだ場所である。神話がここでは現実だ。)

この日本神話が、人魚姫やルサルカと基本の構造が似たものだということが知れるだろう。すなわち人間(天孫)と水の精(わに)との異種婚姻であり、何かの約束が破られて、この関係は破綻する、という構造である。
 
神話学で「メリュジーナ・モチーフ」といわれるものがあるというが、それは
「中世フランスの伝説の女主人公から採った名称であって、竜蛇の女を妻とした男が、妻の禁止にもかかわらず、妻の本当の姿を見てしまったので、夫婦が分かれることになったというモチーフだ。
大林太良氏は「メリュジーナ・モチーフ」が朝鮮、中国に顕著に見られるとして、海幸山幸神話は、中国東南部の水稲栽培・漁労民文化から北九州の海人により持ち込まれたのではないかとしている。*3
 
こうしたモチーフが世界にひろく分布しているということ自体が、驚きなのだが、これはかつて異界が人間界のすぐ近くにあって、異界への恐れと同時に異界の持つ超能力に対する憧れが、抗いがたい力で人間を魅了していたということだろう。

ずいぶん昔に読んだ本だが、人間の先祖は1千万年の間、水棲生活をし、その間に体にさまざまな変化がおこった。そして百万年前に陸上に上がり現人類に進化してきた、という説があった。*4 
いま多くの支持を得ているかどうかはしらない。なぜ人間には体毛が少ないか、なぜ前向きでセックスをするかなどをそれにより説明していた。女の髪が長いのは、こどもを水に流されぬようそれを使ったからだと書かれていた記憶がある。

それはさておき、この異様な婚姻から産まれたものは、神がかり的な力と運命を持つとされたことは、多くの建国神話などに見出すことが出来る。
 
私のある友人が、以前新国立で「ルサルカ」をみたが、悲しさの後味が悪くて好きになれなかったという。
これは、人と人との関係と異なり、異種婚姻はそもそも禁忌であり、そこに為すすべのない破滅の掟がまっていることが、救いのない言い難いフラストレーションとなったのだろう、と私は勝手に想像している。憧れと悲しさの合金。

* 2 「古事記(上)」全注釈 次田真幸 講談社学術文庫
* 3  「神話の系譜」大林太良 講談社学術文庫 213ページ
 * 4 「女の由来」 エレン・モーガン 二見書房