暑さに負けている

世界中ミサイル飛びかう猛暑かな
 
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 おもちゃレベル+だが、一応はミスト

暑い。最近のあいさつは「生きてるか!」。
ミスト散水を庭にやってみた。面白いし効果も少しは?
 
 
特に京都や岐阜は40度を超え、命の危険をニュースが叫んでいる。
京都が暑いのは徒然草にもいうとおり、
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比(ころ)わろき住居(すまひ)は、堪へ難き事なり」
であるが、それにしても、この暑さは想定外だ。
我が家はガタの来た日本家屋であるが、もちろん断熱材は入っているものの、こういう暑さを想定していないので、十分な効果もなく、クーラーを入れるくらいがせいぜいの対策。暑き比(ころ)わろき住居(すまひ)に該当しそうだ。
日本家屋は風通しや採光などに古来の知恵が反映しているといわれるが、それでは間に合わない時代になってきたかもしれない。暑さ対策を建築レベルで何とかしないと、危ないという気がしてきた。
でもこの辺りはまだみかん畑や竹林なので、大都会よりは幾分しのぎやすいのだろう。
 
大都会江戸も暑かったのだろうが、それでも昔はしのげる涼しさがあったに違いない。一茶の句を見ると、
 
涼風の曲がりくねつて来たりけり   一茶 (1815年)
 「裏店に住居して」と前書きがある。路地裏で団扇をあおぎ、わずかな風を待っていたのだろう。
 
いざいなん江戸は涼みもむつかしき  一茶 (1812年
涼も取れないような、こんな東京からはさあ、お去らばしよう、ということだろうが、生まれも育ちもパッとしない一茶、なかなか江戸では名をあげられなかったのである。
 
下々も下々下々下国の涼しさよ 一茶  (げげもげげげげげこくのすずしさよ)
「奥信濃に浴して」 という前書きがある。下国なれど涼しいというのか、涼しいけれど下国だというのか、卑下と自嘲と矜持とがない交ぜになる。故郷、柏原は涼しいかもしれないが、豪雪地帯である。しかし泣き笑いしながら、その下国で、終の棲家を得たのだった。