扇風機の千秋楽そろい踏み

そぞろ寒かの扇風機さえ邪魔になり
 
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(ひと夏、ご苦労さん。ほこりを払ってお蔵入り)

扇風機は、猛暑、酷暑をのりきる大事な助っ人だったが、ここに来てようやく蔵う決心がついた。
これが遅いのかどうか。最近は暑さへの警戒心が高まってしまい、加えて季節自体も少しおかしくなりタイミングがよく分からなくなってしまった。
秋晴れの午後、羽根を外して一応洗剤で洗って物置行き。それでも一台は出しておく。
 
手前の緑色の扇風機は、いわゆる「緑家電」と言われた時代のもので、40年も動いている。立派な現役である。
家電は一般に「白物」といわれ白色がメインなのだが、昭和50年代に、家電が軒並みそろって鮮やかな緑色になったことがあった。物持ちのよい(よすぎる)私の家には、この扇風機のほかに緑の冷蔵庫が現役で動いている。しかしもう風前の灯火で買い替えの話がちょいちょい出るのだが、使える間は面倒なので事態は進んでいない。
すでに入れ替えたが、電話機がやはり緑色だった。
緑家電のブームは過去のものとなったが、私は地味な和風台所にはまんざら悪い色ではなかったと思っている。
 
ダイソンが羽根のない扇風機をだした。それを扇風機と呼ぶのがふさわしいのかどうかという疑問もわいてしまう。扇子も携帯の小型ファンにとって代わられそうだ。
「秋扇」「秋団扇」という俳句の季語があるが、こうした季節の移り変わりに対する微妙な哀惜の念は、羽根のない扇風機が引き継いでくれるとも思えない。
俳句の季語が季節や自然とのパイプ役を果たさなくなりつつある。