蕪村最期に白梅さいて

寒梅やバカボンパパの鼻毛伸び
白梅や塗り残したる空の色
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梅が咲き始めて、ほのかな香りが漂ってくる。
一月の冷気の中で、たまゆら陽射しがつよく射す折があるが、そんなときは梅の花が最も美しく見える。じっと見ていると白梅は、まばらな花の背後に透けるように、どこか遠くに彼岸、死を感じさせる。
 
だが、その花はシベが異様に多い。まだ昆虫の少ない時期なので、虫の来る少ない機会を逃すまいとする執念の姿なのだろうか。
私には赤塚不二夫バカボンのパパを想像させる。(鼻毛に見えるがヒゲだという説もあるが?)
 
蕪村は、旧暦12月25日の早くに亡くなったという。新暦ではちょうど1月30日に当たる。
「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」
が、絶句となった。
その最期の様子が高井几薫の「夜半翁終焉記」に記されている。私は原典をみてはいないので気が引けるが、ネットからの孫引きをさせてもらう。
 
「廿四日の夜は病体いと静かに、言語も常にかはらず。やをら月渓をちかづけて、病中の吟あり。いそぎ筆とるべしと聞こゆるにぞ、やがて筆硯料紙やうのものとり出る間も心あはただしく、吟声を窺ふに

冬鶯むかし王維が垣根哉
うぐひすや何ごそつかす藪の霜

ときこえつつ猶工案のやうすなり。しばらくありて又
 しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
こは初春の題を置くべしとぞ。此三句を生涯語の限りとし、睡れるごとく臨終正念にして、めでたき往生をとげたまひけり。」
 
吟を書き留めた月渓は、画家の呉春のことである。
 
萩原朔太郎は蕪村に激しく思い入れて、「郷愁の詩人 与謝蕪村」を著しているが、白梅の句をこう評している。
「白々とした黎明の空氣の中で、夢のように漂つて居る梅の氣あひが感じられる。全體に縹渺とした詩境であつて、英國の詩人イエーツらが狙つた所謂「象徴」の詩境とも、どこか共通のものが感じられる。」もし更生してさらに句境を発展させたなら、
「近代の象徴詩に近く發展させたか知れないのである。」
 
この17文字から、ここまで読みとるのはさすがに詩人だなと思う。
まだまだ私には詩心が足りないようだ。