セツブンソウ 可憐な神々しさ

節分草を見入るイエスの誕生のごと
 
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節分の、まさにその季を見計らうかのように、セツブンソウが顔を出した。この可憐さ、そしてあまりに正確な几帳面さ、甲斐甲斐しさに、命の神々しささえ感じてしまう。
大げさに言えば、キリスト降誕図を見るような気持ちが湧いてくるのだ。
季を知る不思議な植物の能力。地軸を23.4度傾けて、太陽の周りを一回りしてきた時間の経過を、なぜ理解しているのか?
 
彼女はまず、土くれの間からしばらく外界を探っている。凍るような寒さだと身が危ないからだ。その小さいうす赤い茎が土中にのぞいている。
外界を数日間観察したあと、花の頸を折り曲げた姿勢で、そのいわば肩の部分から、やおら地表に体を出してくる。
地表に出ても、彼女はまだ警戒心を解かない。ツボミのままで、また様子を探っている。虫が来てくれるに十分な温度があるのか、陽射しはあるのか、いま咲いても無駄にならないのか、と考えているように見える。植物に、脳はないはずだ。しかしまるで思考している様子に見えてくる。
 
この写真は、ちょうどそんなタイミングだ。
 
さて、明日は花を開いてくれるのだろうか。
ほんとうに気を揉ませるスプリングエフェネラルである。
そして私は、毎年この時期、ハラハラして落ち着かないのだ。