スモモと子規

すもも頬張って駆け出していけ雨の中

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スモモの季節になった。プラムとかソルダムとかいう名で売られているが、何れも日本の李(すもも)を外国で改良したものだという。この酸味が梅雨のうっとうしさを一新してくれるようで、舌に心地よい。

 

半世紀以上も前の信州のド田舎での話だが、モモと言うのはスモモと毛モモのことだった。

スモモは今日のプラムなどよりずっと青くて酢っぱかった。毛モモというのは、文字通りうっすら毛が生えていて果肉は硬くて、甘味はあまりなかった(ように記憶する)。

そのうちに水蜜桃が出てきた。栽培され始めたのは、この村では昭和30年代の後半だったのではないか?中学の時、友人Nの家に寄ると、水蜜桃の木があり一個もいで食べた。当時まだめずらしく、毛モモに比べく、甘くて柔らかく、しかも大きいので感激したことを思い出す。

ただし、虫が食っていて、虫と競合しないように食べる。当時はモモもスモモもほとんどが虫食いになった。「李下に冠を正さず」などと言うが、私のイメージとしては、立派な冠の上にあるのは、虫に食われて糞がはみ出しているようなスモモの映像である。

 

子規に

病間や桃食ひながら李画く

という句がある。多分画いたあと李も食っただろう。病床にあって、彼は画家の不折からもらった絵具で、丹念に植物や果物を画いた。

画くべき夏のくだ物何々ぞ

画き終へて昼寝も出来ぬ疲れかな

 

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子規は絵に没頭することで、痛みや暑さを一時忘れたのだろう。医者が、もう生きているが不思議と言ったほど病状は進んでいた。

国立国会図書館のデータを探すと、子規の「果物帖」があった。その中に多分その時描いたスモモの絵があったので、備忘でアップしておく。熟して赤く、美味そうに描けている。漱石が確かどこかで下手だと言っていたが、文人らしい味があると私は思う。

子規余命、あと二月もない。

 (不折の留守宅のスモモだと書いてある。不折は留学中だったか)