青葡萄ジャムに挑戦

袋掛けてブドウの若気を眠らせる

デラウエァの袋かけをはじめた。今年は遅い。

ブドウは軒の日影用に植えた1株だが、成り年なのか立派な房が多い。暑いし肩が痛むから毎日10から20房くらいずつののんびりしたペース。

この暑さでは、袋かけするとかえって蒸れてしまわないかと心配になる。ここ数年は、猛暑のせいか水分が届かずに房がミイラのようになってしまうことが多かった。特にこの3,4年はひどい。掛けないほうがいいのかもしれない。

しかしハクビシン?の被害を考えるとやはり必要だ。いろいろ防御してもダメで、沢山食われてしまう。今年もすでに食いに来ていて、カラの皮が下に落ちている。そんなこんなで口に入るのは半分以下だろう。

そんなこともあって今春は思い切って数を減らそうと摘果したつもり。だが、まだ100以上はぶら下がっている。今回さらに摘果しようと思ったが、見ればここまで大きく実ってきているので、「もったいない意識」が頭をもたげる。

で、ふと思いついたのが、「青葡萄のジャム」。

捨てないで食べるなら、思いきって切り落とせる。だが「青葡萄のジャム」はあまり聞いたことがないので、果たして食べられるものができるのか。知らないのは食べ物音痴な私だけかもしれないが。

ネットを見るとジャムにしたという情報が少しあったので、意を得て挑戦した。

とりあえず200gほどを砂糖を半分の100g入れて煮込んでみた。結果は、上出来。酸味が強いが、それは私の好むところ。ただし種を除くのが一苦労だ。ブドウの皮も残したいので、煮込んで柔らかくなった後、一粒ずつ摘まみ取った。いい方法があるのどうか?

2回目は約800gを煮込んだ。この種とりは余りも大変なので、もう途中から網で擦り濾して、残念ながら皮と一緒に捨てた。砂糖は250gほどに抑えた。酸っぱいものが好きなので、もっと減らしてもよかったかもしれない。しかし家人が食べてくれるかどうか・・・。

 

ヤマユリおよび狭井神社(大和)のこと

杣道や頭上に香るミヤマユリ

山道を走っていたら、白く大きいヤマユリがあちこちに見られた。花が重いのでみな傾いて斜面から乗り出すように咲いている。いまはヤマユリの最盛期のようで、目の保養になった。

それにしても豪華な花で、草花としては最大のものの一つではないだろうか。これをプラントハンターであるシーボルトがヨーロッパに持ちかえって大儲けし、やがてカサブランカのような洋ユリに改良されていくのはよく知られた事実である。

 

ユリといえば思い起こされる万葉集の次の歌は、野趣も情愛も深い。

筑波嶺の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹そ 昼も愛しけ(大舎人千文(おおとねりちふみ):巻20 4369)

 (筑波山のさ百合の花の夜床、そこでもいとしい妻は、昼もいとしいよ。)中西進

 

大舎人千文さんは、那賀郡(いまの茨城県久慈郡南西部)の人で鹿島神社に祈願して天皇の軍に加わった(防人か)と記されている。健康そうな青年が思い浮ぶ。

 

さらに古くは、古事記ヤマユリが出ている、という情報を得て、早速本を取り出してみた。神武天皇の条に、イハレビコ(神武天皇)が、イスケヨリヒメという美人を妻とする件がある。その注釈にユリについて書いている。

「ここにそのイスケヨリヒメの家、狭井河の上にありき。天皇そのイスケヨリヒメの許に幸行して一宿御寝し坐しき。

その河の辺に山ゆり草多にありき。かれ、その山ゆり草の名を取りて、佐韋河と号けき。山ゆりの草の本の名は佐韋と云いき。

 

これによればヤマユリが、ヤマト近在ではもともと「サイ」と呼ばれているという。

狭井(さい)川は、現在も奈良県桜井市大神神社の近くにあり、私も以前、山辺の道を歩いた折に小さな看板を見つけたことがあった。小さな流れなので、拍子抜けした記憶がある。

(川、というほどのものでもない、普通は見落としそうだ)

直ぐ近くに狭井神社があり、この社は大神神社の摂社で病気平癒の神として信仰されており、神聖な霊水が湧き出ていて誰でもいただける。神社の花鎮祭りでは、現在も特殊神饌として、薬草の忍冬(すいかずら)と百合根が供えられるのだという。古代からユリに関係の深い社である。

またこの境内から三輪山に登ることができる。三輪山は神聖な禁制の山だが、ここで登録しタスキをかけて、ここからのみ登ることが許されている。私も登ったが、思いのほかきつく途中で何度も息を整えた。山上の磐座はあまり神さびた雰囲気はなかった記憶がある。冬だったのでユリは見ることがなかった。

(この鳥居から白タスキをかけて登る、私は観光だったので、こんなかっこう)

また山辺の道には番号が振られた万葉の句碑が随所に眼に入るのだが、狭井川の近くには50番のものがあった。文字はなかなか読めないが調べると、こう書いていあるらしい。

 

狭井河よ雲立ち渡り畝傍山 木の葉騒ぎぬ風吹かむとす

   古事記・伊須気余理比売(いすけよりひめ)

この歌は、狭井川の方から雲が立ち渡り、畝傍山では木の葉がざわめいている。大風が吹き出そうとしている・・・というほどの意味だという。

これは先ほどの古事記の続きの場面であり、神武天皇の没後に、神武の兄タギシミミ命がイスケヨリヒメに言い寄り、さらに彼女が産んだ三皇子を殺そうとする。この歌は、この謀反を暗に知らせた歌であり、それを知った三皇子はタギシミミを打ち取る、という展開になっている。とてもヤマユリの香を楽しむような雰囲気ではなさそうだ。

 

「さい」というユリの古語から話が飛躍してしまった。

今わが庭にはオニユリが幾十となく咲いている。晩夏になれば鉄砲ユリが咲き出すだろう、いずれも自然に生えたものである。牧野博士の言葉通り、日本は良いユリを持ったものだ、万歳万歳、である。

静岡 39.3度

何もかも一時休戦この暑さ

 

静岡市は高温でてんやわんや。

38度になるぞ、と予報が出てびくびくしていたが、それどころではない。7月4日に39.3度という信じられない高温になった。観測史上初の気温である。

当地は海も近く気候が穏やかで知られているが、この高温は全国トップで、ニュースでももちきりになった。

しかし静岡の気温は静岡気象台での観測なので、そこは我が家から7、8キロは離れているし、街の中にあるので周辺環境も大いに違う。では、我が家周辺を自分も計ってみようと、タニタの温度計を出して、家の西側で直射を避けて風通しの良い場所に置いてみた。以下はざっくりそのメモ。

13:15          36.5

14:00          37.5

1425          37.9     ピーク

14:30          37.7  湿度41%

14:32          37.1

14:40          36.9     温度が急降下、といっても暑いのだが。

これ以降は緩やかに下降した。

 

こんな塩梅だったが、家の屋外では38度には達しなかったと思われる。ミカン山の裾に位置し緑も多いし、甍の波というような住宅地でもないので、気象台との差が出たのだろう。しかしもちろんこの気温でも表に出ると肌が焼けるように痛い。

 

近くのスーパーに買い物に行ったら、入口の付近に何時も飛び回って糞を垂れ流しているツバメが、さすがぐったりしてやる気無さそうにしていた。動物だって人間と同じだ。ツバメの渡りも変わってくるかもしれない。

この暑さを、メモして残しておくのも後年の参考になりそうなので、備忘。

しかし、この気温が普通になりそうなので、このメモも意味のない通過点になってしまうことを恐れる。実際、怖い。

 

 

タイトゴメ・マンネングサ(ベンケイソウ科の2種)

草茂る孤老は鎌を買いたれど

 

コモチマンネングサ

ある時から庭に侵入してきて以来、取っても取ってもなくならない。引っ張れば根から簡単に抜けるのだが、抜いて置いても枯れてこないどころかそこから成長している。万年草というのはそんなしぶとさから来た名前らしい。

ただし種類がいろいろあって図鑑を見ても区別がつかない。いちおうコモチマンネングサ、としておくが確信はない。

 

 

(タイトゴメ)

タイトゴメとは「大唐米」(だいとうごめ)だとのこと。ぷっくりとふくらんだ葉を大唐米に見立てた、と図鑑にはある。だが、大唐米って何なのか私は知らなかった。

大唐米とは、元々はベトナム中部から11世紀初めに中国の宋に伝わりおそらく12世紀前後にはわが国へ渡来したもので、いわゆるインディアカ型のイネであって、ジャポニカよりも淡白で粘りがない、と説明されている。お米としては江戸時代においても2級品扱いであったが、収量が多いので流通はしていたようである。

以上はネットに「江戸時代におけるインディカ型のイネ」小川正巳・猪谷富雄 という論文が掲載されていたものを参考にさせていただいた。くわしく書かれていて興味をそそられる。

論文の中で、大唐米の利用が庶民の生活に想像以上に密着していたことがうかがえる、として次の問答を挙げている。面白いのでコピーしておく。

武士にあらずしてたいたう米と言ふがいかに

振りまはさねど太刀魚と言ふがごとし.

(注:大唐米の大唐と帯刀を掛けている)〔『喰物生類むり問答』 (著者不詳天保期)から〕

 

 

掲載した2種は、いずれも多肉植物で葉はぼってりとしている。園芸種もありセダムという名で店頭にあると書かれている。

今まであまりに身近なのでブログに取り上げなかったが、よく見れば花は美しく捨てがたい。小さい5㎜程の明るい黄色に輝いている。タイトゴメの方は小石のゴロゴロした痩せたところが好きなのかもしれない。コモチマンネングサは何処でも場所を選ばない、感じがする。

 

バルトークの「対の遊び」

異邦人のお道化た曲や夏の雲

(清水マリナート大ホール)

 

久しぶりに生のオーケストラを聴く機会があった。

当日の演目で私の注目は、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」。好きな曲の一つだ。若いころは彼の弦楽四重奏第4番、3番など無調の尖った破壊的な曲に魅了されて、夢中で聴き入ったことがあったが、次第に東欧の民俗音楽的なピアノ曲などに嗜好が移ったのはやはり歳のせいだろうか。

この協奏曲は1943年に作曲されている。バルトークは1940年にナチスを嫌ってアメリカに亡命したが、音楽面でも経済的にも健康的にも恵まれなかった。そんな彼の窮状を見かねた仲間たちが援助のため作曲を委嘱したもので、バルトークは極めて精力的に作曲したという。しかし彼はその2年後に64歳で白血病でなくなっている。(同じく亡命したストランビンスキーやラフマニノフがいるが、バルトークは世渡りが下手で、ある種偏屈だったらしく、それが窮状を招いたとも言われている。それがまたバルトークらしい。)

 

そんな窮状を感じさせないエネルギー溢れる曲で、若いころの尖った無調の曲ではなく、曲全体に安定感があり、その底に流れるのは彼らしい沈鬱な感情だ。

この第2楽章が面白い。「対の遊び」がそのタイトルである。

素養のない私には説明が難しいが、不正確を恐れずに記すと・・。

演奏は小太鼓が幕開けを宣言すると、次いで同じ管楽器が二人ずつ、同じリズムで音程を変えた二重奏をする。それが対という意味だろう。楽器はまずファゴットから始まり、オーボエクラリネット、フルート、トランペットとひき継がれ、中間部を経て再びファゴットへと戻って、また同じ順番で各楽器が演奏していく。その「ずいずいずっこ橋」の遊びのような楽器の交代が、心地よく楽しくすぐれたセンスを感じさせる。バレー音楽にしても面白そうだ。またメロディーはいくぶんお道化たような楽しい雰囲気をもち、まさにタイトル通り楽器の遊びのようなところがある。演奏者は大変かもしれないが・・・。

この曲想は、まあいわば、俳句でいう「軽み」の精神なのかなと私は思う。洗練された軽みだ。悲劇の中にも道化は必要なのであって、それは重要な役割を果たす。

同様に第4楽章は「中断された間奏曲」というタイトルで、ここには全くもって異様な中断があり、唐突に無関係に、曲(演奏)を愚弄するようにトロンボーンがブーイングを入れるが、これも諧謔だが攻撃的な精神。

「対の遊び」は何かの折につけ私の脳内にひょいと響いてくる。

あの小太鼓の響き、そしてファゴットが鳴り始める、広場で何かが始まりそうな気配。それが頭の中に聞えてくるその瞬間に、いつもこの曲と同化していることを感じる。

以上、とりとめのない音楽会報告。

 

・・・・・・

なおこのコンサートは、富士山静岡交響楽団定期演奏会で、ハイドンの「交響曲第100番」、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノは小林愛実さん)、そしてバルトークの「管弦楽のための協奏曲」と内容も真っ向勝負で肉厚だった。地方楽団だが、最近「日本オーケストラ連盟」の正会員となり、力量もかなりなものと感じられた。ラフマニノフのピアノは人気の小林愛実さんで、アンコールのショパンノクターン遺作の嬰ハ短調は、思わず知らずウルウルさせられた。さすがである。バルトークは音の明瞭さがいまいちに思えたが、私見である。

 

そういえば以前バルトークに触れたことがあったので、参考までに。

https://zukunashitosan0420.hatenablog.com/entry/65978593

 

カボチャのつるぼけ

蔓ぼけやカボチャ健気に嫁さがし

(花の付け根に、ふくらみがない)

 

またカボチャのことだが・・・。

花がよく咲いている。すこし茶色を含んだ黄色で生き生きとして、見ているだけで元気をもらえそうな花なのだが・・・、どうもおかしい、と気づいた。実になってこないのだ。半日咲いて、ポトリと落ちて、それっきり。

ネットを調べると、カボチャには一株に雄花と雌花があり、風や虫によって受粉し結実すると書いてある。

 

で、花をよく見てみると、すべて雄花だ。雌花は花の根元に子房のふくらみがあるはずだが、それが見つからない。

この原因は、栽培野菜が一代限りで種子をつくらないというせいなのか、と思ってさらに調べていると、「つるぼけ」という言葉を見つけた。

田舎育ちの私には、記憶にピンと響くものがあった。

知っていた言葉だった。農村では当たり前な常識言葉だった。ああ、これが「蔓ぼけ」なのか、と合点すると同時に、田舎育ちの自分が、そんな言葉も忘れて街に紛れこんでしまった、と何だか忸怩としたものがあった。

 

さて「つるぼけ」は肥料を与えすぎが原因の一つだという。そういえば、鶏糞などをたっぷりし鋤きこんである。これは駄目そうだ。また来年、肥料を減らして、実がなるかどうかやってみよう。

(雄蕊に孤独感を感じるのは、すこし感情移入が過ぎるか)

 

それにしても、肥料が多いと雄ばっかりになるというのは、どういう摂理なのか。これはタネを作る必要を、植物が感じないため生殖を忘れてしまうということだろう。生きることに必死になると種を作る。甘い実を作る。これは生き物ならみな同じ摂理かな。ということは人間の少子化もまた、食に困らない先進国の現象だとすれば、通底するものがあるのか、などと漠然と。

 

以前、動物界では様々な環境ホルモンで女性化が起こっていると心配されていたが、最近あまりこうした情報を聞かない。どうしたのだろう。

 

 

三保の松原の野草たち

花茨きのふもけふも富士見えず

 

 

 

ふらっと、三保海岸へ行って砂浜や松原を歩いてきた。

蒸し暑い日曜日。人出が多いだろうな、駐車場は大丈夫だろうか心配したが予想に反して適度な人出。みなさん大きな羽衣の松の林を通って、潮風を受けながら、さあ富士山は見えるかなと、浜に出てくる。

そして見えれば、ああ!、見えなければ、ああ!と誰もが讃嘆嘆息するから面白い。この日富士山は山頂は雲に隠れていたが、五合目から上は薄青い山容をのぞかせている。この時季にしては、まあまあのお出まし。

清水港に大きな外国船のクルーズが入っていて、(多分セレブリティ・ミレニアムというアメリカの客船)その乗船客がこの世界遺産の三保にも来ているようだった。

(人が大勢見えるのは、「羽衣の松」付近)

 

この日見つけた、砂地の野草たちをいくつか。

ハマボウフウ(セリ科)

もう花は終わって固い実になり始めている。葉はセリのような風味がよくて野菜として食べられているようだ。一葉摘まんで嗅いでみると強い香りがする。

 

ツルナ(ハマミズナ科

菜というからには、これも食材になり、おいしそうな風貌である。アイスプラントが近縁といい感じは似ている。

 

ナルトサワギク(キク科)

マダガスカル原産での外来植物。1978年に鳴門市で確認されたことから鳴門沢菊の名がつけられた。繁殖力が強く拡散しており、また毒性があるので特定外来生物に指定されているという。この可憐そうな花がねえ。



ウスベニニガナ(キク科)

思っていたよりずっとひょろひょろと細く小さく弱々しくて驚いた。花の筒は1センチほどで先端に薄紫の花が覗いている。小さくてうまく撮れない。おもに熱帯域に分布していて、静岡あたりにも北上してきたのだという。これからもっと増えるかもしれない。

 

アメリネナシカズラヒルガオ科)

静岡県自然史博物館の資料によれば、「三保の砂浜でみられるネナシカズラ類はほとんどがアメリネナシカズラCuscuta pentagonaという北アメリカ原産の外来種です。アメリネナシカズラとハマネナシカズラは非常によく似ており、ちょっと見ただけでは見分けがつきません。」ということなので、アメリネナシカズラだろう。自身は葉緑素を持たず寄生する。ゴミ屑に見間違える。

 

テリハノイバラ(バラ科

これは松林の林縁にたくさん見られる。ノイバラにもいろいろ種類があるのだろうが、これは新鮮な印象で、あまり藪やぶにならない。花はノイバラより少し大きくて5センチほど。ゲーテの野薔薇もこんな花かもしれない、と思わせる。葉に艶がある。すこしバラの香がする。

 

その他、ハマゴウは少しだけ咲き始め。ハマヒルガオはまだ。ハマエンドウは見られなかった。砂地にはいつものようにコウボムギ、ケカモノハシなども見られる。

以上備忘方々。