ことしも白萩

黄蝶きて萩さわぎ立つ日の光


白萩が満開になった。遠慮なく花をこぼしている。

そして決まったように黄色の蝶が2,3匹やってきて、花叢の上でくるくると舞い踊り、舞い降りて枝にとまりじっとしていたと思うと、早々にまた高く上がったり。賑やかで楽しそうだ。見ていると秋の日差しの中でいっとき放心する。

この蝶はキタキチョウ(北黄蝶)というようで、モンシロチョウやモンキチョウなどに比べいくぶん小ぶりだ。萩のようなマメ科を食草にしている。決して派手ではない萩にとって良い取合わせに思える。

 

それにしても萩はほろほろとすぐに散ってしまう。その様がまた美しい。

束の間の花を、誰かに見せたいと思うのは、今も万葉の時代も同じようだ。旅人と家持父子の萩の歌があった。家持の歌は父の剽窃か。

 

大伴旅人

わが岡の秋萩の花風をいたみ散るべくなりぬ見む人もがも(巻第8:1542)

(わが家近くの岡の秋萩の花は風がはげしいので、散りそうになってしまった。見る人もあってほしい。)

大伴家持

わが屋戸の一群萩を思ふ児に見せずほとほと散らしつるかも(巻第8:1565)

(私の家の一群の萩を恋しい子に見せもせず、ほとんど散らしてしまったことだ。)

(「万葉集中西進 講談社文庫より) 

 

こういう歌もいいのだが、実生活風景の中では、一茶がリアルだ。

宮ぎのや一ッ咲ても萩の花

道ばたへ乱(れ)ぐせつく萩の花

露の世を押合へし合萩の花

 

わが狭い庭の萩は、放っておくと暴れて収拾が付かないため、切り込んで切り込んで小さくしている。可哀そうだが仕方ない。

「一かぶに道をふさげり萩の花 一茶」

台風15号

秋出水安否電話の長話し

(近くの公園も浸水)

台風15号が、静岡県内に大きな被害をもたらした。

9月23日から24日にかけて、県内に線状降水帯が発生し記録的な大雨をもたらした。静岡市で12時間に404㎜、これは半日で平年の9月1か月分の雨量の1.4倍に達するとんでもない雨量だという。

私もパソコンの雨雲レーダーに首ったけの夜で、一向に移動しない赤紫色のマークにハラハラし、外の雨音に一時は肝を冷やすほどだった。庭の排水口が落葉で詰まるので、2度びしょ濡れで点検した。市街地では安倍川が警戒水域を越え、真夜中に避難指示が出された。(結果的に洪水はなかったが)

私の住む地域は雨風の難を逃れたものの、半日以上の停電になり、不自由を強いられた。26日午後現在でも、清水区では興津川の取水口が被災し広域にわたり断水している。

特に近くを流れる巴川は勾配の極めて少ない河川のため、雨のたびに溢水し、治水工事が長年にわたり行われてきた。上中流部で遊水地が大規模に作られ、また放水路も作られている。しかしやはり今回も下流部では住宅地に浸水している。

 

昨日今日と近くの様子を見に車を走らせると、各地で泥の除去、流木の片付け、浸かった家財道具の運び出す光景に出会い、目立たないけれど広範にわたって水に浸かってしまった様子が分かった。

私の家も、50年ほど前の「七夕豪雨」の際はすぐわきの山から来る水路が土砂崩れをおこし数軒が大被災した場所。今回はそれ以上の集中豪雨で、被害には至らなかったものの、いつ被災するか分からない。喉元を熱くしている。

被害のもう一つ、浸水地区の泥の道路を走って、大きなくぎを拾ってパンクしてしまい、JAFも来てくれず難儀したことをメモしておく。

名月を仰いで雑感

射しこんで白き乳房や月今宵

「絵のない絵本」は、お月様が空から見えたものを語る、世界各地の人々の悲喜こもごものお話だが、現在ならウクライナの戦場、イギリス女王の国葬、日本の国葬、熱波、大雨、洪水。こんな風景が話題になるのだろうか。

掲載駄句は、お月様ならこんなものも見えたかな、と思っての句。

 

さて、

中秋の名月だというのでベランダに出てみると、煌々と明るくほれぼれするお月様が雲間から出ていた。ようやく乾燥してきた秋の空気のせいか、輪郭もきりっとしてすばらしい見栄えである。月の兎もよく見えている。左側にひときわ明るい星は木星だとのこと。

残念ながら、しばらくして月は雲に隠れてしまった。

 

月は美しいのだが、冴えきった月を見ていると、やはり何か胸騒ぎがするものだ。

たとえば狼男は満月の夜に野獣に変身する。

源氏物語の夕顔は八月十五日の満月の頃の逢瀬で、もののけに襲われ命を落とした。

今昔物語にも、内裏の松原にて鬼が女を食う話があり、八月十七日の月の極めて明るい夜のことと書かれている(巻第27の第8)。いずれも不気味さが、月の明るさによって一段と凄みを増している。

出産や死去の時刻も満月新月に左右されるともいわれる。

名月は、正なのか邪なのかわからぬ物の怪の気配を秘めている。それは人類が月へ行くことになってもやはり感じる生理的なものに思える。

古今の俳句に、こうしたデーモニッシュな句がないかと探したけれど、私の目では見当たらなかった。

 

名月やわれは根岸の四疊半 子規 明治26年

まだ元気な頃の、子規の句である。子規庵に月明かりが差し込んで来ているのだろうか。ただし、晩年子規が病室にした部屋は、4畳半ではなく6畳だったはずだ。

さておき、今年もまた子規忌が来る。

 

ゆきあいの空

ゆきあいの空やタケミツ・サウンド

この時季、おやっ!と思うほど空が青く見える時がある。

先日も堤防を歩いていると、秋らしい雲と夏らしい雲が、それぞれに輝いているのがみえて、美しいと思った。高い空にすじ雲、そして山際から湧き出しているのは、真夏よりも大きい入道雲だ。

「ゆきあいの空」という夏の季語がある。これが、その言葉の空なんだな、と合点した。

行き合い、は文字通り行き合い、出会うことだが、広辞苑によると「夏秋の暑気・涼気の行き合う空」だという。そして新古今集慈円の歌 「夏衣かたへ涼しくなりぬなり夜や更けぬらむゆきあいの空」を例として挙げている。

晩夏に、ふと、暑さの傍らにひんやりした風が来ることがある。これを夏と秋が「ゆきあう」と捉えるのは、素晴らしい感性だ。

30度の残暑の汗をぬぐいながら、日陰に入れば一瞬に汗が引く涼しさ。「ゆきあい」、いい言葉だ。

 

漢字の教科書に、「社燕秋鴻」(しゃえんしゅうこう)という四字熟語が出てくる。ネットのgoo辞書を見ると、

「出会ったばかりですぐに別れてしまうこと。ほんの一瞬、出会うこと。」であり、

「社燕」は、ツバメ。「社」は、春と秋の社日(しゃにち)(立春立冬から数えて五番目の戊つちのえの日)のこと。ツバメはこれらの日に来て去るといわれることから。

「鴻」は、秋に飛来し春先に立つ雁(カリ)のこと。両方の渡り鳥が、春と秋に入れ違いで見られることから、短い出会いをいう。出典は蘇軾の詩だとのこと。

この言葉も、季節の素早い移ろいを鳥の渡りから言葉に定着させて味わいがある。少し人間臭いが。

ちなみに今年の秋の社日は9月22日だという。

 

武満徹の音楽は、不思議なほど「ゆきあい」にマッチしている。これも日本人の底を流れる感性なのだろうか。CDを聴きながら、「ゆきあい」の感覚を増長させるのもいいことだ。

稲の花

登呂遺跡田んぼは小さし稲の花

農道を散歩していたら、何かうっすらと香っている。

何だろうと見まわしたら、稲の花が一面に咲いていて、どうやらそれが香っているようだ。餅つきのときのモチ米を蒸らしているときの香りを思い出した。

稲穂は一斉に見事に出そろって、つんつんと上を向いている。花はモミの一つ一つから白くひょろっと出ているのが雄しべでそこに花粉がある。雌しべはモミの中にある。この雄しべが香っているようだ。

それにしても見事にそろって出るものだ。山形の花笠音頭の喜びががよく分かる。

 

♪ そろたァ そろたよ 踊り子そろた
秋の出穂より まだそろた (ハア ヤッショ マカショ シャンシャン)

日本人のコメ離れは急速で、農水省のホームページによると「昭和37年度は118kgの米を消費していましたが、令和2年度の消費量は半分以下の50.8kgにまで減少しています。」とのことだ。すでに米よりパンの方が家計支出が多くなっている。

私は朝ご飯はコメ食、味噌汁で、ほぼ一日に1合強のご飯を食べていると思われる。単純に一年で365合とすれば、一合150gとして年間約55Kgである。(実態はもう少し多いかもしれない。最近は食が少し細くなった。)昔の日本は1食1合、1日3合が常識だったそうだ。これを支えて田んぼが大活躍していた。

 

ウクライナの戦争映像を見ていると、地平線まで続く麦畑がでてくる。そしてオデッサの港から小麦を運び出すことが、何と大変だったかを思いしらされた。

因みにドイツは、先進工業国であるが大農業国でもある。国土面積は日本よりいくぶん小さいが、農地は国土の半分に近く日本の4倍もある。当然穀物自給率は高く100%を超えている。フランスは穀物自給率が170%を超えている。いずれも足を地につけている。ちなみに日本は、30%を切って28だという。

ロシアの侵略戦争で、食糧、エネルギー、情報の安全保障がにわかにクローズアップされ、稲の花を見てもいろいろ不安が募る気分だ。食糧安保を考えれば、私ももっと米を食べなければいけないかな?麺類を減らしてご飯にするかなあ、これ以上太るのも困るな…。などと秋に思う。

キツネノカミソリ (ヒガンバナ科)

キツネノカミソリが咲いている、という新聞記事を見て重い腰を上げた。

場所は高山という市民の森で、静岡市街地から小一時間ほど。標高700mの山頂は広場になっていて、立派な山桜が一本枝を張っている。眺望も素晴らしく静岡市街、駿河湾、そして遠くに富士山も望まれ、思わず背伸びをしたくなるほど。家族づれにも人気のハイキングスポットになっている。

実は3年ほど前にも訪れたのだが、そのときは虻が異常に多く、ほとんど車から出られなかったのだった。今回は沼を巡って、山頂までも歩くことができた。

 

キツネノカミソリは、ヒガンバナ科

春先に出る白緑の細長い葉を、キツネが使う剃刀に見立てた名前だという。だがこの時季には葉はない。

花は林下のやや陰ったところに何本かずつ咲いていて、可憐である。赤というか絵具のローズマダーのきれいな色をしている。管理人さんの話では人の手によって移植されたのだろうとのこと。隣の竜爪山にはオオキツネノカミソリの自然群落があるときいていて、見たいと思いはするのだが、行ったことがない。宿題の一つである。

今回はこの花が見れたので満足。他にも松風草などがみられたが、総じて花が少ない時期である。

アサギマダラが3匹、もつれ合って飛んでいた。やや小型だった。

沼には水芭蕉が植えられているはずだが、見渡してもほとんど株が見当たらないので管理人さんに伺うと、「鹿が全部食べてしまったんです。沼を全部囲う訳にもいかなくてね、全滅ですよ」と困った顔をされた。

 

杉林からはヒグラシの声が響いてくる。胸にしみるようなさわやかな鳴き声。汗も引いていきそうだ。近づく秋を感じさせる。

ヒグラシや杉林を統べ高らかに

 

子規の残暑

寒暖計八十五度

病人に八十五度の残暑かな  子規

(今朝はまだ涼しい)

なくなる前年、明治34年9月9日の句である。「仰臥漫録」にあるが、虚子は選句していない。

85度は、華氏だろうから摂氏に換算すると、29.4度Cになる。(そういえば昔の寒暖計には摂氏と華氏が両方表記してあった)

今の我々からすれば、なんだ大した事はないと思える。しかしほとんど体を動かせない子規にとって、残暑は、耐えがたい苦痛をもたらしただろう。

クーラーなどは勿論、扇風機もなかったので、人々は団扇や外寝、夕涼みなどで何とか凌いできたのだろう。ほんの少しのそよという風でも、ありがたかった時代である。

同じ日に

人問はばまだ生きて居る秋の風

病牀のうめきに和して秋の蝉

 

翌明治35年の「病牀六尺」7月19日に、次の記事がある

「この頃の暑さに堪え兼ねて風を起こす機械を欲しと言へば、碧梧桐の自ら作りてわが寝床の上に吊りくれたる、仮にこれを名づけて風板といふ。夏の季にもやなるべき。

風板引け鉢植えの花散る程に  」とある。

 

さてこれがどんなものだったのかは、絵もないのでよく分からない。引け、と句にあるところから紐で引くと板状のものが扇ぐ構造だったのだろうか。扇風機もない時代だった。結局季語にもならなかった。

この2か月後に子規は息を引き取る。既に体はボロボロで生きているのが不思議とさえ医者は言っている、そのなかで彼の命の炎は依然烈しい。

 

子規の頃と、昨今の暑さは大分ちがっている。この暑さは命の危険な状態、だと報道され、遠慮せず、適正にクーラーを使いなさいとまで、ご丁寧に教えてくれている。

何もかも苛烈な時代になった。終戦記念日、今日も暑くなる!

貧乏人は死ねよというかこの暑さ  ブログ子