富士市で生まれ育った「かぐや姫」

今年竹節の白さのいさぎよさ

(竹採り公園入口)

竹から生まれた「かぐや姫」が月に帰る「竹取物語」は、平安時代の帝の住む都でのお話だが、その舞台が、実は富士市にあるという言い伝えがあるという。「そんな馬鹿な」、と思うが、いたってまじめな話らしく、先日、富士市のその現場を見てきた。

現場とは、富士市比奈にある「竹採公園」。うっそうとした竹林の中に市の文化財となっている「竹採り塚」がある。また物語の富士市とのつながりを支持した高僧白隠禅師の墓も残されている。市の管理する公園のようだ。竹林が美しいが、うっそうとした木陰にはやぶ蚊が多く、たちどころに何カ所か刺されてしまった。

元祖「竹取物語」では、富士山は最後になって出てくる。月の都に帰った姫を嘆いた帝は、姫の残した不死の薬と手紙とを、天に一番近いという駿河の高い山の上で焼かせた。そのためこの山を「ふしのやま」という、と地名起源を説きその煙が今も立上っていると言い伝えている。という場面で終わりとなる。

(竹採り塚 富士市の文化財になっている)

富士市に伝わるかぐや姫伝説は、少しストーリーが異なる。

この公園の場所で、竹から生まれ、翁に育てられた姫は、絶世の美女となり、国司が召そうとしたが応ぜず、国司が来て契りを結んだ。数年して、姫は暇を乞い「富士山仙洞に還らん」と一箱を遺して姿を消した。国司は姫を追い求めて山嶺に至ると、大池があり、そこに美しい宮殿があった。そこにいた姫は姿が人ではなく天女のようで、以前の容姿とは異なっていた。国司は悲しんで、箱を抱えたまま池に身を投げてしまった。

と、こんな話となっている。

ここでは、貴公子の求婚難題もないし天上からのお迎えもない。さらに姫は現実に国司の求愛を受け入れている。また、おそらく富士山の火口の描写と思われるが、そこに池があり、宮殿があるという設定となっている。

「仙洞」というと修験やら富士山の神様を思わせる。そんなこんなで、いささか強引に富士山に話をもってきて、天女というより修験の呪術師のような風貌をまとったかぐや姫となっている。富士山浅間神社の神といわれる「この花咲くや姫」とも混同しそうな雰囲気だ。

もちろんよく知られた物語を後世の人が富士山の真正面のこの地に結び付けたのであろう。

しかし、地名が面白い。

この地域の古い村名は「姫名むら」といい、また字名として「赫夜姫」(かぐやひめ)=姫と国司が住んだところ、「籠畑」=竹取の翁が住んでいて駕籠を作り、姫を育てたところ、「天上」=かぐや姫が富士山に登る折に、天上と名付けられた高台、そのほか見返し、権現原、囲いの道などの地名が残っているとのこと。まんざら空言でもないかもしれない、という気が起こってきそうだ。宮崎の高千穂を歩いた時の気分に似ている。

なお富士市のこの話は、明治17年に富士郡役所編纂した「皇国地誌」に残されていると、案内板に原文の紹介がある。そのなかでも、「これにより一考すれば、その口碑旧記あるいは架空の説にあらざるべし」と結んでいるのも面白い。

 

かぐや姫人気が高かったことがその背景にあったのだろうが、物語が尾ひれをつけて長い時間の中で様々に変化し、地方に展開されていく行くさまが感じられて面白い。そもそも原・竹取物語も、なにかネタがあってそれを脚色したのかもしれない。

 

 

(関係ないかもしれないが、当日富士市で買った今年初めてのスイカ。

 なんと名前が「月娘」 色がきれい。)

「そして時おり ぼくは人になる」 (詩文書のエピソード)

 

古い私の友人が、古い私の詩を覚えていて、美しい書にしてくれた。

その、詩らしきものとはこんなものだ。

 

(ぼくは空だ)

ぼくは空だ

ぼくは風だ

ぼくは鳥だ

ぼくは魚だ

ぼくは樹だ

ぼくは岩だ

ぼくは恐竜だ

そして時おり

ぼくは人になる

 

正直私も忘れていた「古い」昔の詩で、ざっと振り返ると、約50年前のものである。

友人の達筆は、一瞬、そのころの私の皮膚感覚を目の前に再現してくれたように感じた。

そうそう、そんな塩梅だった、そんな詩を書いたな、と懐かしくも恥ずかしくもあり、ついつい押し入れの奥の段ボール箱から詩集を引っ張り出して、目を通してみた。言葉の一つ一つが記憶の奥から立ち返ってくる。このフレーズは何度も書き直したところだ、とか、これは一瞬でできた詩だ、とか、満足しなかったけれど時間切れで突っ込んだ詩だ、とか様々なことが思い出される。

そのころ、「何に成りたいのか」と聞かれると、酔っ払って「詩人になりたい。それ以外にはなりたくない」などと、どこかで読んだ詩人の言葉をまねてきざなことを言ったり、酔っ払って、しばしば公園のクスの木の下で深夜まで眠るなど粗野なふるまいを繰り返していたことも、記憶の奥からよみがえってきた。出勤時には、一歩一歩歩きながら、今日の仕事はああしてこうして、などと頭を仕事モードに切り替えつつ職場に向かったこともよくあった。稚拙なものかもしれないが、それはそれで気を込めた気持ちでは居たのだった。

詩集とは言っても、当時ようやく実用にかなう機器となっていたワープロを使って打ち出しホチキスで止めたもの、3冊。倹しいものだが、これも倹しい男の身の丈にふさわしいとおもえば、分相応な記念碑かもしれない。

今回詩集を読んでみて、まあまあ面白いじゃない、と思えたものもあったので、新たに印刷してみようかな、などと不遜な思いが湧いてきている。

不意に昔の自分を鏡に映し出してくれたような友人の書に感謝し、備忘の意味も込めて記事にした。

 

サグラダ・ファミリア「受難のファサード」の追想

サグラダファミリアが完成し、大規模なミサが執り行われたというニュースが流れた。完成と言っても最も高いイエスの十字架という塔が完成したということで、まだ細部の装飾などに10年は要するという。これまで140年の歳月を費やし、今年はちょうどガウディの没後100年にあたるのだそうだ。

 (  塔から見下ろす バルセロナの街並み  20年前の写真)

 

20年ほど前に、建築中の教会を訪れ、内部見学をしたことがあった。

当時はまだ工事現場のようで、足の踏み場もない状況だったが、エレベーターでずいぶん高くまで上り、バルセロナの市街地を見下ろした記憶がある。いま放映されている教会の映像を見ていても、いったいどの塔にのぼったのか、見当もつかない。

 

ガウディの建築設計図というのは、無い、もしくはスペイン内乱で焼失したといい、その後は後継者たちにより、わずかなイメージ図を頼りに手探りで建設が進められてきたのだという。だから、様々な意匠の大半はガウディ本人のものではないということで、それもまた驚きである。日本人の彫刻家外尾悦郎さんもその一人だというのも数奇な出会いだ。

私の20年前のサグラダファミリアの記憶はもう色褪せているのだが、その中に、いまだに引っかかっているイメージが二つある。

 

一つは魔法陣。

これは「受難のファサード」の写真だが、ガウディ本人の曲線的有機的なデザインとはあまりに違うので、面食らう。ここに魔法陣が彫られている。ネットで調べると、この門は1987年にカタルーニャ出身の彫刻家ジョゼップ・マリア・スビラクスによって、制作・設置されたものだという。魔法陣は少し不規則になっていて、12と16が抜けていて10と14が二つずつあり、縦、横、斜めのどの列も合計が33となる。この数字はキリストが亡くなった年齢だと言われている。美しい数列ではないが、「いわく」は溢れている。

当時は情報も少なかったので、この魔法陣は何なのか大いに興味がわいたのだが、今日ではネット・AIで調べると瞬時に膨大な情報が出てくる。そのため「不思議さ」がなくなって驚きも平板になってしまった。 魔法陣の解説をした絵葉書を教会で買って持っていたが、それも今は見当たらない。

もう一つは、この門扉である。

これも 「受難のファサード」にあるブロンズ製門扉。やはり彫刻家ジョセップ・マリア・スビラクスによって制作されたものという。文字らしきものやら、意味ありげなモチーフが浮き彫りされているのだが、全体の色調が重々しくて、絵画のようにも、永遠のメッセージを伝える伝言板のようにも思えてくる。

表現されているものは、イエス・キリストの最後の日々についての物語とのことで、イエスの逮捕から十字架にかけられるまでの経緯が書かれている、と解説されている。とても素人には読み解けない。

 

私の個人的志向なのだろうが、命の豊穣をイメージする「生誕ファサード」よりも、こちらの「受難のファサード」の方が強く記憶残っている。

この聖堂に限らずに、西洋の多くの聖堂が世紀を越す長い年月を要し、それがゆえにたくさんの天才的な個性の協働によって造られてきた。木の文化とは少し違う、時間の流れがそこにありそうだ。

外来植物を四つ

イヌコモチナデシコ?(ナデシコ科)

数年前に数株をみつけたが、もう爆発的に広がっていた。道路ののり面の比較的ガラガラした場所を好むのか。コモチナデシコとほとんど区別付かないということなので、私の紹介も確実ではない。またミチバタナデシコという分類もあるらしく、私の手に負えない。英語ではChilding pink で Childingとは子を孕んでいる意味で苞から次々と花が咲くイメージか?花はかわいい。

 

 

 

アメリカオニアザミ?(キク科)

私のもっている「緑の侵入者たち」*1 には、「セイヨウオニアザミ」が載っていて、この写真と同様に見えるが、同一種かはわからない。見るからに鋭い棘があり、こうしたものには繁茂してほしくない。ヨーロッパ原産とのこと。本にはほかに「セイヨウトゲアザミ」「ゴロツキアザミ」「オニウロコアザミ」も紹介されていて、いずれも危険なトゲトゲである。

アザミと言えば、「スコットランドの花( Flower of Scotland)」で、その歌がスコットランドの国歌なのだという。この棘がイングランドの侵入から国家を救った逸話がある。

(参考:ラグビーとアザミいろいろ - 続 曇りのち快晴  

 

 

セイヨウエンゴサク、カラクサケマン、ニセカラクサケマン(ケシ科)

ヨーロッパ、北アフリカ原産。名前を3つ挙げておいたが、最近私も粘りが亡くなりしつこい同定ができなくなっているので、まあまあ当たらずとも遠からずで。感じとしてはセイヨウエンゴサクが濃厚かもしれない。全体はちりちりっとして頼りなさそう。


アツミゲシ(ケシ科)

道端で4月ごろに、ナガミノヒナゲシの花の中に見慣れないケシがあったので写真を撮っておいたのだが、のちのち調べてみると、「あへん法により栽培が禁止されており、発見した場合は保健所や警察署へ通報する必要があります」というものだった。これにはびっくり。そのご咲いていたあたりを見たのだが、ナガミノヒナケシの枯茎に紛れて行方は不明だった。それまでは見たこともなかったので、なぜいきなり生えてきたのか不思議だ。

渥美半島で発見されて、大々的な駆除が何度も行われたが、結局は抑えきれなかったという履歴の持ち主らしい。

(薄紫の花の大きいのが、アツミゲシ。ほかはナガミノヒナゲシと思える)

 

*1 「緑の侵入者たち」淺井康宏著 朝日選書474

第3句集発行

風薫る刷りたての句集が届く



10人ほどでやっている句会の、第3句集を発行した。本の制作は、パソコンで業者へデータを送ると、そのまま印刷し製本して送ってくるという簡便なもので、安価で早いのだが、校正戻しも何もないので一発勝負。自分がワードで原稿を作成し割付をし、発注をする責任者なので結構気を遣う。

先日会員の皆さんに配り終えた。遠くの方へは配送したが、市内の方にはドライブ方々自分で配達。みなさんの喜ぶ顔をみると自分もうれしくなる。それが発行の原動力になる。

第3句集のタイトルは「リップすてぃっ句」とした。

1号「パンデみっ句」2号「グッドらっ句」に続く語呂遊び。10人がそれぞれ厳選?した21句を掲げ、全体で90ページほどのかわいいもので、もちろんISBNなどはとっていない。それでも印刷して形になっているものは、ネット空間に漂っているものと違って、存在感がある。手に取れるものには、愛おしさが沸く。

会員の皆さんは、俳句に老後の人生の喜びを見出している人がほとんどだ。中には、知人親戚などに近況報告として送って、旧交を温めているという方が複数いる。決してプロのような出来の俳句ではないが、誰もが親しめる俳句という短詩がもつ力かな、と改めて思う。

 

参考:

zukunashitosan0420.hatenablog.com

 

麦秋ー1

ムギという名の付く草に麦の秋

 

昨日まで寒いと思っていたら、今日は30度になる。草々が芽生えたと思ったら、すぐ初夏が来て、もう季節は麦秋。道脇の草も穂をつけ早々と今年の決算期にはいった。

麦という名の付く草はいろいろありそうだ。そうした「穀物」になり損ねた草たちにも秋が来る。それも麦秋と呼んでいいだろう。こうしたムギ系の植物の故郷は、西アジア方面だということだ。

 

次の写真はカラスムギか。あんなに青のまじった深い緑色をしてせいせいと風に穂をなびかせていたのが、今日はもう店じまいだ。これで次代に命を繋ぐ責任を軽々とすませてしまい、心おきなく枯れていく。

次はネズミムギか。はっきりしないが、いろいろと交雑しているらしく判定には自信がない。生えている所にはいやというほどの群落をつくっている。道のわきなどに目立つ。花を咲かせているものもあり、秋と言えるかどうか。牧草として移入し、イタリアンライグラスという名を持っている。

これは自信がないが、イヌムギか。これも道端に群落をつくっていた。何の変哲もない。それにしても、カラス、ネズミ、イヌ。身近な動物の名をつけることで区別を容易にしたのだろうか?以前ネコという名の付くものを探したことを思い出した。ネコムギというのはなさそうだ。

ネコハギ(マメ科)の「ネコ」 - 続 曇りのち快晴



静岡市近辺には、麦畑が少なく、ほとんど麦秋を感じない。

今ちょうど、静岡の安倍川流域で唄われた古い民謡「駿河麦搗き唄」を教わっているが、麦を搗くという、こうした作業の実感もわかない。

駿河麦つき唄 - 続 曇りのち快晴

歌詞の中に、水を入れてつくというようなつぎの言葉がある。

♪ 搗く麦は六斗六升に合わせる水は五斗五升

♪ 五斗五升の水を合わせていつか蓑笠脱がせる

麦は固いので水で柔らかくして搗いて殻をとり,干し、また水を入れてついて精白するというような根気のいる作業が必要だったようだ。

これは主に女性の夜なべ仕事だったという。麦秋のこの時期は、田植えと重なるなど農繁期で肉体的にはつらい時期だったのだろう。臼で搗くのは大麦であって、小麦は石うすで挽いて粉にするのだということも知った。

近くに麦搗きの臼をみれるところがないかと調べているが、市町村の資料館でもこうしたものの保存整理が大変らしく、なかなか情報に上がってこない。

また農機具などの民俗資料が増えてしまって、資料館がいっぱいになり、公開展示をやめたとか廃棄処分をするとかのニュースが流れている。こうしたものはマイナーで見に行く人も少ないので、博物館側としても力を入れにくいのだろう。以前、「木挽きうた」習っていた時に県内の山奥の村立の資料館に、大きなのこぎり「おが」(大鋸)を見に行こうとしたら、市町村合併で資料館は閉じてしまっていて、館蔵品は廃校の一室に保管している、要望があれば観覧できる、と大きな市の文化課からメール回答をもらったことがあった。

結局行かずじまいになってしまった。

 

ホタルブクロ咲いて

蛍袋三つ吊り下げ雨となる

( ダブルホタルブクロ という名で買ってきた:花が二重になっている)

 

先月花屋で「ダブルホタルブクロ」という名札の苗があったので何だろうと思いつつ買い求めた。それが見事に花を咲かせて、見ればなんと花片が二重になっている。ダブルは二重という意味だったようだ。花びらの先だけでなく、袋自体が二重になっている。覗いてみると、めしべは一本で普通のホタルブクロと違いはなさそうだ。面白い変異だ。

 

庭にあるホタルブクロはもう15年も前に山から採ってきたものだが、ここ数年は花茎が立たず咲く力がなくなっている。今年はようやく1本立って、先日花をつけた。閉ざされた環境なので活力がなくなるのだろうか。

(ようやく3つ目を提げた)

 

ホタルブクロの花に、男と女があり子供たちがそれを当てっくら遊びをした、と宇都宮貞子さんは書いている。

「男女というのは、雌蕋(しずい)の柱頭が、花が開いたばかりの時は先のとがった棒みたいだが、しばらくすると三つに割れるからである。」(「草木おぼえ書」)

というので、私も気を付けて覗いてみると、早く咲いた花は三つに割れ、咲いたばかりのものは確かに棒のようだった。子供たちもよく見ているものだ。

宇都宮さんは、信州の各地の野草の名前や民俗を聞き留めて、優しい随筆にした方だ。

ホタルブクロも、トーロバナ、チョウチンバナ、アンドンバナなどの名を挙げているが、広い地域でアメフリバナと呼ばれていると書いている。

「アメップリバナ咲いたんで梅雨になるど」

なんていう在のおばあさんの喋り言葉がそのまま載っていて、心が温まる。この本は手放せない本の一つだ。