グレン・グールドと漱石

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カナダのトロントはピアニスト、グレン・グールドの生涯の地である。過日トロントを訪ねた妹からの写真を見て知ったのだが、ここにはグールドスタジオがあり、グールドの像もあるようだ。像の写真を見ると彼は結構大柄だ。演奏するときの屈んだ奇妙な姿の印象をうらぎり、180cmあったようだ。
グレン・グールドは、日本にはいまだ根強いファンがいる。特にバッハのゴールドベルク変奏曲1956年と1981年の2回の録音は神格化されていて、このCDは世界で日本が一番売れた。私は取り立てて彼のファンではないが、学生のころ入りびたったバロック音楽喫茶で、音楽科の女性とこの曲を聴きながら、グールドの声が聞こえるのを小声で確認しあったことなどを思い出す。何度も聞く内に、その超スピードのパッセージにも次第に慣れっこになっていった。
 
最近たまたま「草枕」変奏曲・・・夏目漱石グレン・グールドという本を見つけて拾い読みした。著者横田庄一郎氏は新聞記者をされているようだ。
漱石の「草枕」とグールドとは、いかにもとっぴな組み合わせだが、実はグールドは「草枕」に耽溺しており、彼の死のベッドのそばにはぼろぼろになった聖書といろいろ書き込みされた「草枕」との2冊が置かれていたとのこと。もちろん英訳本である。また自作のラジオ番組に「草枕」を要約して朗読してもいるなど尋常な入れ込みではなかったようだ。
 
そこで私も「草枕」を読んでみた。なかなか難物である。漢文から俳諧から英詩から泰西名画まで縦横にページを散りばめ、落語も入っていて、わたしなど凡人は辞書を片手にしないと読みおおせない。改めて日本トップクラスの頭脳に脱帽である。20世紀の初頭においてアジア、ヨーロッパの文学・美術にこれほど通暁した人物を日本が生んでいたのである。森鴎外なども思い浮かぶが、明治維新、日清日露戦争という時代の変動がこうした世界的巨人を産みだしたのだろうか。
 
草枕」は漱石の美術論、人生論みたいなものである。舞台は熊本の鄙びた温泉地に画家が逗留して思いをめぐらせるのだが、それが理知的で饒舌である。どうやらその核心は、「人情」「不人情」「非人情」という言葉にあり、漱石は、芸術は非人情の境地が必要といっているらしい。人情はいわば俗世間、不人情は人情味がないことであり、非人情とはそうした俗世間の人情などを離れ、もっと距離を置いて囚われず外から観る、観照的な態度を言うようだ。それは、「汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼儀で疲れ果てた後、すべてを忘却してぐっすりと寝込むような功徳である。」(1)
俗世間にうんざりして少しの間、非人情の天地に逍遥したいという旅にでた画家に、グールドが自分を投影していたことは想像に難くない。「まるで「草枕」はグールドが書いたような小説だ」という、外国のグールド研究家の感想もあることも横田氏は紹介している。(第11
 
グールドの読んだ英訳本では、この不人情、非人情がどう訳されているか紹介がある。
それによると、不人情はinhuman、非人情はnon-human objectivedetachmentだという。と書いても悲しいかな私には判然としない。
しかし画家は世捨て人ではない。まずこう言っている。「世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。」「人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。」だからこそ詩も絵画も音楽も、人の世をのどかに心を豊かにするゆえ尊い、のだと。
グールドは孤独な人だったようだ。浅読みだが、グールドは「草枕」を読んで、自分の感覚は不人情なのではなく非人情なのであり、それ故の孤独なのだと自分を肯定することができたのではないか。それがグールドの孤独を癒したのではないか。


横田氏の本で、グールドへの偏愛ともいえる日本人の傾倒の理由が、少しわかった気がした。また、意外にも饒舌であったグールドの一面が描かれていて、彼の孤独との二面性に驚かされる。
では今度は、「非人情」的にゴールドベルクを聞いてみよう。