タデの区別は難しいや

蓼噛んで辛さも嬉し野良の径

 

季節は今、タデ科の花盛りだ。近くの沼をひと廻りしてくるだけで、もう何種類かに出会う。先日、サクラタデを紹介したが、同様に判別しやすいのがミゾソバとかイヌタデ(アカマンマ)だろうか。しかし、さまざまな種類のタデが咲いていて、簡単に図鑑だけでは同定できそうもない。今日は誰も知るものは、割愛して、図鑑を見ながら何とか判別できるものを、備忘としてアップしておきたい。(名前が間違っている可能性も大いにありますので、ご注意ください)

 

ママコノシリヌグイ

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痛々しい名前で、私は野草の3奇妙名としている。(あと2つはヘクソカズライヌノフグリ)。つるに細かく鋭い棘があり、それを相手に引っ掛けて上に立ち上がってくる。これで継子の尻を拭いたら大怪我をするだろう。

こういう陰湿ないじめが名前にされていること自体、親子の愛憎の暗い部分がいつの世も公然の秘密だったということだ。今は、継子ではなくて、実の我が子の虐待さえも後を絶たないねじ曲がった世の中になってしまった。一体いつどこで誰がつけた名前なのだろうか。

 

アキノウナギツカミ(秋の鰻掴み)

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葉が茎を抱くのでそれが特徴。これを使ってヌルヌルの鰻を掴んだのだろうか?細い棘が生えているが、ウナギを捕らえておくほどではない気がする。細さが上品な印象を与える。

 

ヤナギタデ (ホンタデ)

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タデ科はなかなか判別しにくいが、これは葉を嚙めばすぐわかる。本当に辛くて、舌に痺れが一時間ほど残る。

辛みがあるのは、タデ科の中でもヤナギタデだけで、しばしば刺身のツマとしてその小さな芽が添えられてくる。ヤナギタデは、江戸時代の後期に醤油が普及するまでは蓼や蓼酢が、欠かせない辛味料であり普通に栽培もされていたと、大場秀章氏は書いている。また古来、蓼は重用され「延喜式」(927年)や「本朝食鑑」(1697年)には、蓼の漬物、蓼の花序が穂蓼として食用にされたことなどが記載されているということだ。

想像以上に、タデは日本の食生活に大きな役割を果たしていたことを教えられる。藍もタデだ。ついでながら、イヌタデは辛味がなく役に立たないためにイヌ、と蔑まれた名称であることはわざわざ言うまでもないことだろう。

(参考)「道端植物園」大場秀章 平凡社新書

 

サデクサ

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全体にやや乱雑な感じで生えている印象がある。葉が細い鉾形で、托葉がギザギザの歯車のような形をしているので判別できる。これもしっかり棘が生えている。茎の上にまとまる花は幾分数が少ない。サデとは何なのか不明?思い付きだが、タデ→サデと変容し、それではわかりにくいので、クサをつけたのではないかなあ。

 

ヤノネグサ

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これは繊細な草である。全体に赤い色をしていて、細い茎の上に、数少ない小さい花をつける。少ないので他のタデのように丸い花序にはならない。他の草の中に溶け込んで、見分けがつかなくなる。棘を持たない。

ヤノネとは鏃(やじり)の意味であり、葉が矢じりの形に見えるということだろう。細くて写真写りが難しい。