奈良の「山辺の道」をゆく(シリーズ風景の中へ10)

3年かけて、3回に別けて歩いてようやく山辺の道を踏破した。海柘榴市(つばいち)と天理の間で、田んぼ道もあるし人家の裏も通る、実にヒューマンスケールな道である。
これは古代の道そのものではなく東海自然歩道に指定されている道である。とはいってもこのルートは、大和王権の発祥の地であって大神神社石上神宮三輪山箸墓古墳などの古社・史跡にあふれ、さらに最近では巻向遺跡が邪馬台国ではないかと喧々囂々の議論をよんでいる正に古代史の舞台。記紀、万葉を偲びつつ歩くには絶好であり、万葉の碑も随所におかれて歴史心をくすぐる仕組みになっている。私の行程は次のとおり。
1回は、
三輪駅・・・海柘榴市(つばいち)・・・大神神社・・・三輪山登拝(登った)・・・檜原神社・・・箸墓古墳・・・巻向駅で約6kmプラス登山
2回は、
天理駅・・・石上神宮・・・衾田陵・・・大和神社・・・長柄駅で約8km
3回は、
柳本駅・・・大和稚宮神社付近の人麻呂の歌碑・・・長岳寺・・・穴師神社・・・檜原神社・・・大神神社・・・三輪駅で約10km
 
のんびりと歩くならこのくらいの日程がよいだろう。
私は、三輪山の神に関心があるのだが、初めて三輪山を見たときに美しいとも神々しいとも思わなかった。なぜこんな山にあれほどの思い入れをし、この山の神を恐れたのだろう。それがわからなかった。民俗学者は、山の形状に蛇がとぐろを巻いている姿をイメージして畏れ敬ったのだと説いているが、今回3回目の訪問をしても、いまだもってそうとは思えない。だが、たおやかな山ではある。特に写真の地(小字「神籬」ひもろぎ)あたりからが美しいと思えた。
 
おおどかな三諸(みもろ)の山の山裾の径をしゆけば人に会わぬかも(偽紫万葉集
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額田王の歌碑:遠方が三輪山(三諸の山)