お神楽のゴンゲンサマが飛んだ話(シリーズ風景の中へ13)

黒森神楽と能の「二人静」とを抱き合わせた異色の舞台を見に行った。東日本大震災3年目の応援という触れ込みのイベントである。
黒森神楽は、「打ち鳴らし」「清祓」「恵比寿舞」の3演目だけだったが、芸の高さに感銘した。舞は洗練され、ユーモアもたっぷり含まれていて笑えるほどおもしろいし、楽は太鼓、笛と鉦だけだが、様々な趣を表現し舞と呼吸が実に見事で心地良かった。
解説によれば、この神楽は宮古市にある黒森神社に江戸時代以前から伝わる伝統芸能で、正月になると御神体である権現様を奉持して、3月ほど陸中沿岸の集落を廻り、家々の庭先や夜は宿となった民家の座敷で神楽を演ずるもので、神社で年一度舞われるようなものとは随分形式がちがう。今は様々な職種の人で保存会をつくっていて、土日に巡行するのだという。
イメージ 1(パンフの写真から)

神楽の代表の方のお話では、3年前の津波の時には、巡行に備え「権現様」をある宿に預けようとしたところ、たまたまその宿の都合が悪くて別の高台にある場所に「権現様」を移していたので、その宿は津波にあってしまったが、奇跡的に被害を逃れたとのこと。また神楽衆は全員無事でこれも権現様のおかげだと話された。(権現様とは、獅子頭と似たもの)自分も被災した神楽が巡行することは、被災地の住民に大きな希望と励みになったようだ。
さて、柳田國男の「遠野物語」の話者である佐々木喜善氏に「東奥異聞」という本がある。この中に「飛んだ神の話」というのがあり、オシラサマが(御神体そのものが)火災を逃れて遠くに飛んでいってしまうという例がたくさんあり、ゴンゲンサマにもこうした例があると紹介している。
してみると、3.11津波のときに黒森神楽のゴンゲンサマは、おそらく津波の危機を察してご自身で避難されたことになりうるのだ。そのとき「飛んだ神の話」が遠い民話ではなく、まさに現在にしっかりつながってくる。民話が生きた現実と重なる、その化学変化に必要な触媒は畏れと感謝の心じゃないだろうか。・・・そんなことを思った。


蛇足ながら、舞台の神楽は全く興ざめである。掛け声もなければ写真も取れない。やはりざわめきの中でこそ芸能は生きてくるものだと思える。