柿の守りは黒ヘビが

鵯(ひよ)呼べば柿はとろりと甘かろか
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庭の次郎柿が色づいてきた、1週間ほど前、ヒヨドリがけたたましく叫んで仲間を呼ぶような気配。例年のことだが、そろそろ採ろうか、あと3日か5日か?などと気に病んでいるとき、決まってヒヨがやって来る。
で、今年は写真の黒ヘビ3匹を木の枝にまきつけて、追い払う作戦とした。これはブドウで実験済みなので、効果はある程度(自分では)確信している。案の定、ぱったりとヒヨの声がしなくなった。・・・しめしめ。

小さい柿の木だが、今年は25~30個ほど実をつけた。日当たりが悪いせいか甘みは少ないが、熟柿にして食べると最高。


柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

柿といえば子規のこの句である。
子規が果物好きであったことは良く知られているが、亡くなる一年前に「くだもの」という文を書いている。その大食ぶりは、「大きな梨ならば六つか七つ、樽柿ならば七つか八つ、蜜柑ならば十五か二十くらい食うのが常習であった」と記している。
この中で、御所柿を食った話も書いている。明治28年の秋に奈良に遊び、宿屋で夕食後に柿をたくさん持って来いと命じると「下女は直径一尺五寸もありそうな錦手の大丼鉢に山のごとく柿を盛りて来た。」下女は16,7の美女で、次々に柿をむいてくれる。「柿も旨い、場所もいい。余はうっとりとしているとボーンという釣鐘の音が一つ聞こえた。・・・あれはどこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるという。」

ここから詮索すれば、上の句の元は、夕食後の宿屋の出来事であり、しかも下女にうっとりしながらたくさん食ったのであり、なお鐘は東大寺である。
子規は奈良と柿を取り合わせることに新しさを覚えて、この発見に喜んだ記述もあるので、上の句を得て、してやったりとほくそ笑んだのかもしれない。