笹もちのかおり

笹もちや父祖伝来の石の臼

 
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信濃の妹から「笹もち」が届いた。この頃では珍しい食べ物になったが、現地ではスーパーで売っているのだそうだ。さっそく焼いて食べると、笹独特の香りが香ばしくて懐かしかった。


さて半世紀前の話だが、村では田植えが済むと一斉に「田植え休み」にはいる。その頃の学校は、3,4日の田植え休みと、稲刈り休みがあって、農繁期にはみんな家の手伝いをしたものだ。子供も大切な労働力でそれぞれの役割があった。そのかわり夏休みは短かった。

私の村では田植え休みには「笹もち」を搗くのが習慣だった。生家は農家ではなく、臼もなかったので、よく本家で一緒に搗いてもらった。早朝、本家の土間でショウエイアンチャが餅をつき、縁側にずらっと笹を広げて、女衆がアツアツの餅を手早くくるんだ。アンコを入れたのと入れないのを分けて、アンコ入りは早く食べるようにした。子供らがまわりに集まって、それをじっと見ていた。(みんな従兄弟や親戚だ)
思い出せば、笹を二茎使いその大きい葉をあわせてもちをつつんだ。もちろん一茎に大きい葉が2枚あれば、一茎でできる。

村史「ときわ」を開いてみると、笹もちと田休みのことが書かれている。笹が乏しい小沼では飯山南の永田まで笹を採りに行ったこと、「人は餅食い、馬は笹食う」という言葉があったこと、また、三日も前から笹を採りに行くこと、柏の葉がないから、笹で包むようになったのか、などという記述が見える。
本家の姉さが、笹の葉を風呂敷にたくさん包んで帰ってきた姿も記憶にある。多分事前によその村から採って来たのだろう。
さて笹もちは、我が家ではネズミに食われないように、茎の部分を束ねて縛って、天上から逆さにつるされていた。私は、学校から帰るとジャンプ一発飛びついて引き抜き、これを食べたものだ。数が減ると、一度にどさっと全部落ちてしまうことがあった。また身欠きニシンも篭に入れて天上からつるされていて、これにも飛びついた記憶がよみがえる。

 

信濃には孟宗竹は育たないので、タケノコと言えばネマガリダケのことをさす。ネマガリダケは本名チシマザサである。竹と笹の違いは、一般に小型のものをササと呼び、大型のものをタケと呼ぶが、植物学的には、タケはタケノコの皮が生長につれて落ちるものをいい、皮が残っていつまでも茎についているものをササというようだ。(2005.06.26再掲)