びるぜんさんた丸や(処女聖マリヤ)―4

天草や夕焼けて番う空と海
 
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天草市有明: 道の駅リップルランドの夕焼け 2014.05)


今回の熊本大地震は大分付近にも飛び火して、震度4クラスが何度か発生している。400年前の1596年9月6日、やはり大地震が発生し大津波によって府内(いまの大分市街)は一面の海となり、街の大半がなくなったという。そして、津波が引いた後、府内の沖の別府湾上にあったはずの、瓜生島が、消えてしまったという伝説がある。
瓜生島の大きさは東西3.5キロ、南北2キロ、沖の浜と呼ばれる港町があり、家が約千軒、人口4,5千人で、そのうち助かったのは100人くらいともいわれている。
伝説どおり実際に島の沈没があったのかどうか。

当時は、府内はキリシタン大名大友宗麟の領地であり、フランシスコ・ザビエルも来るなど南蛮貿易も盛んで大変にぎわっていた。大分大学教育学部教授の加藤知弘氏らが海底調査などをして、「海にしずんだ島」という小中学生向けの本を福音館から30年ほど前にだしている。この本によると島の消滅事件については、ポルトガルフロイス神父、イギリスのリチャード・コックスなども記録を残しており、信憑性が高い。また海底調査では、実際に地震津波で消滅した瓜生島の痕跡を発見できたという。
 
そして私が注目するのは、著者が聞き書きしたお年寄りの話である。
大分には「エビスさんにベンガラを塗ったところ、顔が真っ赤になって、島が陥没した」という言い伝えがあるのだという。
これは、「天地始之事」のいわゆるノアの箱舟の大洪水の話と共通する。
 
「天地始之事」では、でうすは、人間が増え、次第に悪事が増すのを悲しんで、ぱつぱ丸じに「この寺の狛犬の目が赤色になる時は、津波で世は滅亡する」とお告げをする。ぱつぱ丸じが毎日狛犬を拝んでいると、それを見た子供たちが悪戯に狛犬の目を赤く塗ってしまう。ぱつぱ丸じは驚いて、かねて用意していた刳り船に子供6人を乗せると、たちまちのうちに大波が来て一面の海になった、そして彼らだけは助かり「ありおふ島」にたどり着くという話になっている。
 (注)ぱつぱ丸じ→ぱつぱ=PAPAで教皇ローマ法王
    丸じ→マルチル=殉教者の意、ここでは固有名詞として使われている
 
何かが赤くなると津波が来る、という言い伝えを探してみると、「今昔物語集」巻10第36話にもあり、ここでは赤くなるのは卒塔婆であって、山津波が村を襲い、信じていたお婆さんと家族が逃げて助かっている。
また古くは4世紀の半ばころの著といわれる中国の「捜神記」にも似た話があり、その455話では、赤くなるのは亀の石像の目で、お婆さんが助かり街は沈没して湖になっている。365話にも、城門が血で赤く塗られたとき町は湖底にしずみ老婆が逃げ去っている。とするとこの話は中国から連綿と伝えられてきたものだろう。
(この伝説については、柳田國男が「高麗島の伝説」で詳しく書いている。(『島の人生』:柳田國男全集19 筑摩書房
 
「天地始之事」のこのシーンは、旧約聖書ノアの箱舟の話というよりはむしろもっと古くに中国から流れてきた洪水説話をベースにしていると思われる。当時の信徒たちは聖書の話を、身近な伝説や瓜生島の実例に置き換えて理解したのだろう。
瓜生島の沈没は1596年であり、この年フランシスコ会イエズス会の神父信者が京都大坂で捕らえられ、長崎まで徒歩で連行され、翌年2月に長崎西坂の丘で処刑されている。いわゆる26聖人の殉教で、キリスト教弾圧の始まりの年である。迫害、大災害という危機感の中で明日を信じることができない信徒たちはキリスト教の来世を信じようとした。「天地始之事」の大洪水に、瓜生島沈没の生々しい記憶が反映していないとは考えにくい。
 
また五島や外海には、かつて高麗焼で栄えた島があったが、海にしずんでしまい、現在高麗曾根と呼ばれる浅瀬がその痕跡であって、そこから陶器破片が漁師の網にかかる、という言い伝えがあるようだ。この話の真偽は知れないが、いずれにせよ、信徒たちは旧約のノアの箱舟神話を、沈む島の伝説と津波災害の記憶に変じて理解し伝えたのだった。
 
この話の中で、津波のとき脚の弱い兄は「残念ながら残し」かれるのだが、例の狛犬が彼を助けて背に乗せて、「ありおふ島」に来るという、これもどの聖典にも見られない優しい一こまが挿入されていることをあえて追記しておきたい。