葛とキツネ (花野のたくましい花たちー2)

葛の雨花もケモノも葉の陰に
 
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いま、河原は堤防から川岸まで一面のクズの葉の海。こういう原っぱを「真葛原」という。
クズの原に足を踏み入れると、甘い香りが漂ってくる。粗野なツルと葉からは思いもつかない上品な香りである。花はどこかと、あたりを見回すと、繁った葉に隠れてたくさんの花が房を立てて紫色に咲いている。クズの花を知らない人は、香りに気づいても花を知らずに通り過ぎる人もいる。
これだけ一面に茂ると、小形のケモノや野鳥などもまったく眼につかなくなる。
 
陰陽師の安倍の清明は、母親が名を「葛の葉」という狐だという伝説がある。クズの香りの甘さが、ケモノのにこ毛や柔らかい女性の懐や乳房などを連想させて、イメージが脹らむ名前だと私は思っている。
 
少し狐のほうに脱線するが、
しばしば狐は美しい女性に化けて出る。そうして男と情を交わす。よく知られたものを頭の整理もかねて挙げてみる。
 
日本霊異記(9世紀初頭)の第2にある「狐を妻として子を生ましめし縁」では、欽明天皇のころのこと、狐の女が男と暮らし子ももうけたが、犬に吠えられて正体を現してしまう。しかし男は「われは忘れじ、つねに来たりて相寝よ」というと、いつも来ては泊まっていくのだった。
ある時この妻は、裾のほうを赤く染めたスカートをはき、上品でしとやかな様子でやってきて、スカートの裾をなびかせて、どこともなく行った。二人の間に出来た子は「岐都禰(キツネ)」となづけ、このこは力持ちで鳥のように速く走った。
 
なんだか艶かしく懐かしいような気がする話である。
 
「唐宋伝奇集」にある「任氏伝」(8世紀後半から9世紀前半)も妖女任氏はキツネであり、男はそれを知ってともに暮らし、任氏は男に尽くし男を大いに繁栄させる。しかし任氏は犬に噛まれて死んでしまう。(参考:「唐宋伝奇集」岩波文庫
しっかり読み応えのある話になっている。日本霊異記の上記の話は、一部「任氏伝」からとっているかもしれない。
 
捜神記(4世紀)の425「消えた下男」は、男が姿をくらましたので、探すと空の墓の中からみつかった。外貌もキツネに似てきていて、「阿紫(あし)よ」としかいわない。10日ほどしてようやく正気が戻ってきて、言うには家の鶏小屋のあたりに美しい女が現れ、それについて行き女を妻として楽しく暮らしていたのだ、という。
これは道士がいうには、キツネは大昔の阿紫という名の淫婦であり姿をキツネに変えたものだという。(参考:「捜神記」竹田晃訳 東洋文庫10)
(こういうぬくぬくした穴倉での暮らしに興味がわくのは、私の前世はケモノだったのかもしれない。)
 
今昔物語にも、キツネの変じた美しい女性に男が交情を迫るが、女は「交わると死んでしまう」、と拒む。しかし強引な口説きに負けて寝るのだが、翌日女の言うとおりの場所に死んでいるキツネを見つける。そして女の要望したとおり、法華経で供養したところ、女は夢に現れ成仏したと喜び感謝する、というお説教臭い結末だが、興味の半分は異種婚姻にあり、アンデルセンの人魚姫を想像させる。(参考:「今昔物語集」1 日本古典文学全集)
 
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つげ義春の「「ねじ式」から  ・・・余り必然性がないが)
唐宋伝奇集の解説(今村与志雄)では、
唐の初め以来、百姓(ひゃくせい)は熱心に狐神につかえ、家屋の内に祭祀してお恵みを乞い、食物や飲物を人間と同じようにささげた。当時、狐魅がいなくては、村が成り立たぬという諺があった」と中国の学者の言葉を引用している。狐とともに暮らしていたのだ。
 
しかし高度成長期以前の日本の田舎でも、狐にたぶらかされた話は、どこの誰が、どこの肥溜めで、などとまだまだリアルだった。大正5年生まれだった母も、子どものころ狐火をみたと話した。狐のちょうちんは、少しはなれた山のあちこちに一時に点滅したり、一列に点いたりする、またあるときは、あそこの家の大きな杉の木にまとう様にくるくると回りながら上って、シュッと上空に上ってしまった、といった話だった。
大正の日本でさえ、狐は人間生活のすぐ脇にいたのだから、1000年以上前では女に化けてでて知らぬ顔で人ごみにまぎれていても、何の不思議もない。
いや実際に、いるのかもしれない?