ヤマアジサイ(アジサイ科)

アジサイや枯れて恥も外聞もなし

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私は手まり形ホンアジサイの、ぼってりした脂っぽい容姿よりも、ガクアジサイの、漫画のフキダシのような額がフッと外に飛び出している、あの不規則性のほうに愛着を感じる。
先日、朝市でフキダシのあるアジサイの小鉢を買ったところ、ガクアジサイとおもっていたらヤマアジサイだった。両者の区別などしらずに、頓着もなしにもちかえったのだが、ヤマアジサイは全体が小柄で葉がアジサイのようにテラテラしていないので区別は容易なのだそうだ。
 
ただし額があるといっても、「墨田の花火」などの園芸種になると、額の部が薄青の八重で美しいけれど、やや繊細にすぎる。なるべく野に咲く風情のものが私は好ましい。
 
私は、アジサイというとなぜか「陽の当たる坂道」の映画を思い出す。そのアジサイのイメージは手まり型である。
田舎坊主の私がこの映画を見た場所は部落の神社の境内で、そこに臨時のスクリーンが張られて村人が沢山集まった。今想えば、娯楽の少ない時代、盆祭りの一環として青年団あたりがセットしたのかもしれない。
映画は若々しい石原裕次郎が登場し大ヒットした、1958年の作品である。スクリーンに展開する都会のお洒落な生活は、田舎坊主にとってはただただ眩しすぎて、憧れの感情さえもわくことがなしに、無縁な別世界だという気がしたことだけ、今も思い出す。映画の内容はまったく思い出さないけれど、アジサイの咲いているシーンがあったのだろうか?記憶を確認したことはない。