びるぜんさんた丸や(処女聖マリヤ)―5

告解(おゆるし)や母微笑めば夏の雲
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(ロザリオの聖母:生月島山田地区で最も古いものと思われ、
十字が描かれていないので、
潜伏時代のものと思われるという。)

かくれキリシタンの聖画」に見た聖母は、乳房を顕わにしてイエスにふくませていた。

宗教画にしては秘められたエロスが見え見えだと私には思えて、少し驚いたのだが、実は、「授乳の聖母」という図像は西洋には沢山あるようだ。「Virgo Lactans」と呼ばれ、レオナルド・ダ・ヴィンチクラナッハファン・エイクなども描いており、
「15世紀には頻繁に描かれたごく正統的な図像である」という。(「聖母像の到来」若桑みどり青土社 325p 以下同じ資料)
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15世紀フランスのジャン・フーケ作
「ムランの聖母子」部分 これも正統的?

さらにネット画像を検索していると、授乳するマリアがもう一つの乳房から、聖人(もちろん男、しかも中年)の口に向けて母乳を噴射しているものがある。この聖人はベルナール・ド・クレルヴォー(1090-1153年)で、熱烈な聖母崇拝者であったという。この絵は授乳の奇跡といわれ聖母が聖人の前に現れた際、聖人の唇はイエスに授乳した乳の滴で湿っていたという。
さらに際どいものには聖人2人がマリアの双の乳房に顔を埋めている画もあり唖然とさせられる。普通人の感覚で見ると、これらは宗教体験に名を借りた屈折したおっぱいフェチとしか思えない。女性嫌い?の修道士たちの抑圧された性的幻影そのものに思える。
 
宣教師たちは聖画像のビジュアルな力を布教に活用したようだ。そしてそれは効果的だった。
ルイス・フロイスは書簡で「日本人は生来その偶像に対する崇敬に熱心であり・・・何らかの聖画像を与えられることを切に求めている。彼らはそれを得られないので不平を言っている。・・・5万枚以上必要である」と言っている。(110p)
なかでも異教徒にとっては十字架の男よりも母乳の聖母の方が理解しやすかったであろう。若桑みどり氏は、キリスト教古代ローマにおいて異教の神々を廃して唯一神として流布していくためには、異教の女神たち、穀物神のデメテル、安産の神アルテミスなどを排除するよりは、これに勝る聖母崇拝を代替する戦略が有効だった。
こうした中で「聖母は太古の母神から生命の授け手、万物の豊穣という本質を譲り受け、キリストの助け手として教会によって召還された女性であった。」これにより本来家父長的な男性中心的で女性嫌悪であるユダヤキリスト教を、より調和的なより慈愛に満ちたものにすることに成功した。いわゆる「とりなしの聖母」となった。

また16,17世紀はルターらの聖母崇拝否定論に対抗するためカトリック教会は聖母崇拝の一大キャンペーンを張った時代であり、日本における布教にも聖母が重要な役割を果たした、と解説している。(44―49p)
大変解りやすい解説である。

日本の隠れキリシタンの世界において、この聖母信仰は長崎・黒崎・五島地域では「マリア観音」という偶像を生み出すことになる。この辺りになると知識もないし今回の聖母像のメモの埒外になるので止めておくことにしよう。
 
乳房を出していない聖母像も沢山あったはずだが、なぜ生月島の聖母画は授乳図なのか。それは解らないけれど、土着になるほどに地母神的な豊穣・安産の神の側面が強く要求されたこともあるのだろうか。いずれにせよ、下のイエス像と比べると聖母への思い入れの深さは歴然としている。
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救世主キリスト (生月島山田地区)