びるぜんさんた丸や(処女聖マリヤ)―2

烈日や殉教の像爪先(あし)垂らし(長崎26殉教者記念像にて)
 
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(絵は聖母子。浮世絵ばりに大胆な絵柄である。乳房を出している聖母像は世界各地にあるのだろうか。「かくれキリシタンの聖画」(小学館40ページから転用。)

丸やの出産の描写がまた田園的である。しかも講談を聞くように語調がよい。クリスマスキャロルも元はこういうものだったのかとも思えてくる。
さて丸やは身重の身で1人さまよう。この本ではヨゼフは出てこない。
 
「ぜひなくぜひなくも、さんた丸や、親ゝ我家を後にして、そこにたたずみ、かしこにまよい、或いは野に臥し、山に臥し、よその軒端にたたずみて、難儀にたとえはなかりけり。」
丸やは、ようやく霜月なかごろ、べれんの国ベツレヘム)について、ただ1人牛馬の小屋で、身をちぢましてイエスを産む。
「さて、寒中故、御身凍らせたもふを、左右牛馬、息をつきかけ、其蔭にて、御体温まり、寒さをしのがせたもふ。食み桶にて始湯(うぶゆ)をなされ、牛馬より、此情をうけたもふ故、くわたるの日は、ぜしん、畜類、鳥類、服用する事、無用なり。」
   (注)くわたるの日→水曜日  ぜしん→断食
 
生まれたばかりの幼子が凍えないようにと牛馬が息を吹きかけて温めてくれた。その白い息が見えるようだ。その恩義から水曜は肉を食ってはならないという。つい仏陀の涅槃図を思い浮かべてしまいそうだ。これに比べたら正統福音書の表現の、なんと事務的なことか。
私は小学校のころ、昭和30年代だが、社会科で部落の農家が飼っている牛馬の数を調べたことがあり、まだまだ相当数をカウントした記憶がある。みな農耕用である。農家はたいてい入り口を入ると、土間を挟んで牛小屋と人の部屋とを左右に振り分けていた。牛馬は四六時中人間と一つ屋根の下で暮らしていた。遠野物語オシラサマも、そんな住環境ゆえの人と動物との親密さから生まれた奇譚といえる。この口伝聖書の息を吹きかける牛馬たちは、紛れもなく日本の農村の牛馬である。
 
谷川健一氏は、「かくれキリシタン紀行」で長崎の家野のかくれキリシタンのおこなってきたクリスマスイブの行事を紹介している。
「彼らはその夜は牛小屋をきれいに掃除し、牛にはいつもよりご馳走をうんと食べさせる。牛がその吐息で、「御身」をあたためてくれたからである。また、牛のはみ桶には、イエスの産湯にと、きれいな湯をなみなみと入れ、子供たちにはそれでお湯をつかわせたという。」
 
しかし、ルカ福音書2-24では、イエスの誕生を神に報告するためにヨセフは「山鳩ひとつがい、または家鳩の雛二羽」の犠牲を捧げている。こうした農耕と牧畜文化の違いは、頭でわかっても血で解ることはやはり大変難しいと思わざるを得ない。