クラナッハのヴィーナスをみて

今回の南ドイツツアーでは、クラナッハの絵を何点か見ることができた。
(駆け足で、写真を撮ってきただけのことだが・・・。)
 
クラナッハの裸婦は、私に白いクリスマス・ローズを連想させる。
少し妖しい小悪魔的な色っぽさを漂わせているのだ。
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これはフランクフルトのシュテーデル美術館にある、黒を背景にしてくっきり浮かぶ裸婦。
手にした薄い透明な布は、近寄っても見えないほどあえかなもので、また陰毛も同様。見えるか見えないかの瀬戸際である。これでもタイトルはヴィーナス。神に名を借りたエロ画であることは明白だ。
小さい乳房、未発達な肺活量の少なそうな上半身はきつく抱けば折れそうだ。すらっと組んだ長い足。ネックレスや髪飾りが異様に豪華である。思惑のありそうななさそうな、ちょっと蔑んだような眼差し。ふくよかというより、きゅっと凝縮する白い肌。
これに参ってしまう男も多い。澁澤龍彦もたくさんエッセイを残している。
 
クラナハやデューラーは北方ルネサンスの画家というのだそうだ。それにしても、イタリアの裸婦とはずいぶんと違うことに驚く。イタリアが太陽の明るさと理想だとすればクラナハは凝縮と等身大の現実、という感じがする。
これが描かれたのは1532年。
このころイタリアではダ・ヴィンチラファエロが既に亡く、ミケランジェロシスティーナ礼拝堂の祭壇壁画「最後の審判」に取りかかる前だった。有名なジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」はドレスデンで見ることができたが、これは1510年頃の作。ティツィアーノの「ウルヴィーノのヴィーナス」が1538年である。風土の差を感じざるをえない。
 
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ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」
ドレスデン・アルテ・マイスター絵画館

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(参考: 右下がティツィアーノの「ウルヴィーノのヴィーナス」 :大塚美術館にて
  ジョルジョーネと並べてあった もちろんコピー陶板 )
 
クラナッハといえば、まずユディットやヴィーナスを思うのだが、彼はルターの友人でありルターの肖像をたくさん画いていることを、今回改めて知った。日本の教科書などで見るルターの顔は、クラナッハの絵筆によるものが多いようだ。
 
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(同名の息子の書いたルターの肖像:シュテーデル美術館
ルターも白髪で若くはない)
ルターが聖書をドイツ語に訳して出版すると、それまで聖書などみたことも勿論、読んだことも無かった人々は、群がってその本を買い求めたという。ルターはなかなかの健筆で次々に著書を著した。徳善義和氏は、宗教改革時のヨーロッパの出版物総数600万部の半分300万部をルターの著作が占めていたと計算している。大ベストセラーである。*1
そしてクラナッハがそうした本の挿絵を引き受けていた。宗教改革に貢献することの多かった画家なのである。私としては思いも付かなかったクラナハのルターとの係わりをみることができた。
しかしまた、クラナハは注文を受ければさまざまな、ルターに敵対する人の注文も受けていたらしい。現実主義者だったのだろう。ヴュッテンベルグの市長もしているという。

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(アダムとイブ ドレスデン・アルテ・マイスター絵画館)
 
ここからは、私の妄想だが、
私などひ弱な体躯の日本人は、ドイツに行くと彼らの大きさに圧倒されてしまう。女も大きく骨太で、その腰の大きさときたらルーベンスの描く女たちそのものだ。
あえて自分に引き寄せて想像すれば、クラナッハは、そうした体力溢れる女たちにいささか食傷気味で、それがあの細身の美神を描かせた理由ではないか。そして彼の絵が好まれたのは、男たちの同じ理由によるものと理解するのが、私にはわかりやすい。

そこには、日本の盆栽や陶芸に通じる小さいものに対する美学を感じることもできるし、極端に言えば、中国の「纏足」に心理的に近い屈折したエロティシズムも感じることができる。
そう考えていささかのコンプレックスを誤魔化している。

今回はヴァイマールでクラナッハを見る時間がなかったが、紹介したほかに
ドレスデンでは、聖カタリナ祭壇画
シュテーデル美術館では 磔刑
ヴァイマルのヘルダー教会の祭壇画 などを見ることができたのでメモしておく。

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(ヘルダー教会の祭壇画
中央画面の右端がルター、その左隣にクラナハは自分を描いている。
キリストの血が降りかかっている。)


*1 「マルティン・ルター」 徳善義和 岩波新書