バッハへの旅ー4(古都ドレスデン)

バッハはドレスデンに住んだことはなかったが、ゆかりの深い街である。
ドレスデンは南ドイツの雄、ザクセンの州都で、バッハの時代すでにエルベ川フィレンツェと呼ばれたほど、美しくまた流行の先端をいく文化都市だったようだ。
 
イメージ 1
(再現された古都 右奥がゼンパーオパー 左奥が王宮)

いわば日本の京都ともいえそうなこの街は、しかし第2次大戦空爆で徹底的に破壊された。いま、人々はこの街を忠実に復元して旧都を再興していることはよく知られている。王宮、ツヴンガー宮殿、カテドラル、聖母教会、ゼンパーオパーなどは瓦礫を丹念に拾い集め、組み合わせ、不足分を新たに追加して再建されている。石材の色が古く黒いものと新しいものが混ざっていてすぐにそれと分る。現在まだ再興は途上らしく各所で工事現場にも出くわした。
それにしても、その執念というか郷愁というか、その執着には恐れ入るというほかない。そこまでやるのか、という言葉が私の喉まででかかる。
 
さて、バッハはライプチヒ時代に何度もドレスデンを訪れている。この街の新しい芸術の息吹に触れるのが楽しく、また創作の刺激になったのだろう。ここでは最新のイタリアオペラなども見ていたようだ。そういえば昔「カストラート」というビデオを観たことがあった。カストラートはバッハの頃もいたのだろう?時代は下るが、ハイドンもすんでのところで去勢されそうになったとか。
イメージ 3
(王宮、左手はカテドラル:みな復元)

それはともかく、バッハのドレスデン行きには、加えて現実的な目論見もあったようだ。長男のオルガン奏者としての就職口をドレスデンで見つけている。
バッハは、カントルとしてトマス学校の生徒を教えてもいたのだが(ラテン語は費用負担して他の人に依頼していた、これは例外的なことだった)、音楽中心のバッハに対して校長は幅広い教養を重視して対立し、バッハは追い詰められた立場にあった。バッハはザクセン王を味方につけようと画策し、さまざまな曲を贈りまた演奏をしたりして、1736年ついに宮廷作曲家という称号を得る。この威光を背に環境を改善しようとしたのだったが、事はそう上手くはいかなかったようだ。
 
やっと宮廷音楽家の称号を得て、記念公演を行ったのが、聖母教会である。
この教会は2005年に瓦礫の中から復興された。内部にはいるとそこには荘厳華麗な広大な空間がひろがり、彫刻が祭壇を飾りその上部にオルガンが見えた。(写真禁止)バッハはここで2時間の演奏を行い、賞賛を得たという新聞記事が残されている。*1
イメージ 2
(2005年に復元なった聖母教会)
 
また、バッハがヴァイマルで領主に解雇を要請していた1717年に、ドレスデンにおいて、フランスのクラヴィーア奏者で名の高かった音楽家マルシャンとの腕比べのイベントを仕組んだ人があり、両者が引き受けたものの、マルシャンは競演の場所に現れない。そこで宿に問い合わせると、マルシャンはその日の早朝だれにも別れを告げることなく旅立ってしまっていた、という事件があり、これもバッハの語り草の一つになっている。
 
ドレスデンに関連してバッハが残した曲と言えば、知人のカイザーリング伯爵のために書かれたという「ゴールドベルク変奏曲」、そしてなんといっても忘れられない「ロ短調ミサ曲」がある。
この曲のキリエとグローリアは、前述した宮廷作曲家の称号を欲しいがためにザクセンの新選帝侯に献上された。それに添えられたバッハの請願書が残っている。
イメージ 4
(バッハ自筆の請願書の1枚目)
「・・・この数年来、私はライプチヒの二つの主要な教会にて音楽の監督を担当いたしておりますが、そこでは数々の侮辱的仕打ちを涙を呑んで忍び、かつ私の収入が言われもなく減じられるを止む無く甘受しなければなりませんでした。しかしながら、かかる事柄は、陛下が私にお恵みをかけてくださり、陛下の宮廷楽団に関連する称号の一つを私に授与なされて、これについての訓令を発すべく貴き御命令をお出し頂けますならば、以後決して起こることはないものと思われます。・・・」*1

崇高な曲の裏側に、生のバッハの体臭まで、感じさせやしないか。
 
王宮の中の見学は、王家の豪華な宝物、そしてツヴィンガー宮殿にあるアルテ・マイスターという絵画館を回ることができた。ラファエロの「システーナのマドンナ」ジョルジョーネの「眠れるビーナス」などの傑作を触れるほど間近で見ることができたが、これについてはまたの折に書くことにしよう。
 
食事からホテルへ帰るときカテドラルの夜8時の鐘が古都に鳴りわたった。石造りの街は鐘の音を程よく反響させた。
「なるほど、これを再現したかったのか」と、ふとドレスデン市民の郷愁が身近に感じられた一瞬だった。

*1 「バッハ 図像と証言でたどる生涯」 ミヒャエル・コルト シュテファン・クールマン共著
  音楽の友社