新年にはやも飽きたる三日かな
(聖トマス教会を裏から)
お節にも飽きて、静かな時間がもどってきたので、バッハのあまり聴かない曲をひっぱりだす。新年なので、バッハが1月1日演奏した曲を、と思って探し始めると、次の表になった。(参考 バッハ事典:監修 角倉一朗 音楽の友社)
西暦
|
演 奏 曲
|
摘 要
|
1719
|
(新年祝賀)世俗カンタータBWV134a 初演
|
ケーテンの宮廷楽長
|
1720
|
| |
1722
|
(新年祝賀)世俗カンタータBWV184a 初演(?)
|
|
1723
|
5月にライプチヒのトマス教会カントルに就任
| |
1724
|
(新年)カンタータBWV190 初演
|
|
1725
|
(新年)カンタータBWV41 初演
|
|
1726
|
(新年)カンタータBWV16 初演
|
|
1729
|
(新年)カンタータBWV156 初演(?) *1
|
|
1735
|
(新年)クリスマス オラトリオ 第4部 BWV248-4 初演
|
全6部のうち1月1日分
|
*1 「バッハ事典」:礒山・小林・鳴海 編著 東京書籍)では、おそらく「1729年1月23日」としている)
こうしてみると、当然だが彼がトマス教会カントルになってから元日の教会カンタータが演奏されている。それまでは宮廷用の祝賀曲の作曲演奏だった。けれど手持ちのBWV41、16を聴いてみると、教会カンタータであるが宗教性というよりも祝賀気分の濃厚に漂う曲である。
この 喜ばしき とき 新たの 年に われら ささぐ あつき 思い (BWV16から)
といった具合である。ケーテン時代の世俗カンタータを持っていないので、比べられないが、いかほどの違いがあるだろうか。やはり1月1日はあまり深刻でないほうがいいのだろう。
1月1日には再演もしていないようなので、その日は教会で演奏をしないという何らかの事情があったのかもしれない。
(もしくは単純に、記録が残っていないということもありうる。しかし他の情報がかなり詳細に残っていることから、演奏は行われなかったと考える余地は大いにあると思う。音楽なしの礼拝だったのだろうか。)
(ちなみに私は河原で、「謙良節」(青森県)を唸る。人に、なぜバッハと民謡?と聞かれると、複眼が必要だ、と答えることにしている。)