「ペンパイナッポーアッポーペン」の妄想的雑感

オッペケペ オッペケペッポー ペッポーポー
(俳句じゃないけど、五七五)

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(滝田ゆう名作劇場6 「小舟の上で」から)

1 オッペケペ オッペケペッポー ペッポーポー
  これは川上音二郎の「オッペケー節」。明治時代、自由民権をこの節に乗せて主張した。「権利幸福きらいな人に。自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい。オツペケペ。オツペケペツポー。ペツポーポー。」こんな調子。
 
2 アップク、チキリキ、アッパッパア、アッパッパア
  これは江戸川乱歩の「白日夢」に出てくる子供たちの歌。意味不明の虚無的呪文。
 
3 Panampe an. Penampean. ( パナンペ アン ペナンペ アン)
  これはアイヌの昔噺の主人公、パナンペとペナンペの話の最初に出てくる決まり文句。anは、居るという意味。「パナンペがあった。ペナンペがあった」と知里真志保は訳している。ペナンペはパナンペのまねをするが失敗ばかりする面白おかしいお話。知里真志保採録し「アイヌ民譚集」(岩波文庫)にまとめている。 
 
4 その他 ハッパフミフミ(巨泉)、ペッパー警部阿久悠
 
思いつくまま挙げたが、こうしてみると、ペンパイナッポーアッポーペンも立派に伝統を踏んでいることが見えてくる。
共通項は「p」がポイントだということだ。この子音は擬音に直結し、幼稚さ、笑いなどを連想させ、さらに無意味、虚無、反権力的・反社会的なニュアンスが醸し出される。
 
それはなぜか? 断っておくが、以下は妄想である。
「p」は、破裂音で唇が触れあいそこを空気が激しく通る。この運動の刺激が唇から脳へ伝わり、脳が興奮し、楽しく感じるからだろう。
また音韻は歴史的に見ると変化していて、「むかしハハhahaはパパpapaだった」といわれるように、現在の「h」の子音は、その昔「p」であった。ハはパであったのだ。とすると奈良時代辺りには、日本語は現在よりももっとずっとポンポンピーピーした音の調子で鳥のように話していたと考えて良いだろう。「パナンペ アン ペナンペ アン」はその名残をかんじさせる。我々現代日本人が「ペンパイナッポーアッポーペン」についつい乗ってしまうのは、そもそも発音することが鳥のように楽しい時代の名残、そうしてそこに日本語の祖先の血を感じるからだろう。
もちろん英語の歌なので、語調のよさとバカバカしさと奇妙さで、英語でも受けている。(だが上記の音韻変化論は英語には通用しなそうだ?)