神やしろ大棟たかし冬の鵙
静岡浅間神社の境内社である少彦名神社の、外装(漆)を塗り替える工事が行われていて、その見学会があると聞いて参加してきた。浅間神社は、東海の日光と呼ばれるほど豪華であるが、1800年代初めから50年ほどかけて徳川家によって造営されたものが、現在の社殿であるという。
少彦名神社は一棟の社殿であるが、総漆塗りで木彫りの彫刻がほどこされた贅沢なもので、これも国の重文となっている。懇切丁寧な説明を受けたが、いろいろ知ると自然に関心と愛着がわいてくるものだ。
説明では江戸時代、当社は神宮寺薬師社とよばれたようで、明治維新の神仏分離により「少彦名の命」を祭神とした。そのおり薬師仏と仏を守護する12神将は近くの名刹臨済寺に緊急避難し現在に至っている。今回はこの12神将の展示も見られた。
なぜ薬師仏が少彦名の命になるのか、といえば、これが即ち教科書で習った「本地垂迹」であるらしく、薬師仏が仮の姿で現れたのが少彦名だという理屈である。いずれの神仏も薬、治療に関係があるための付会であり哲学も思想もとくにない。
とすると、この神宮寺薬師社が境内の東側に置かれたこと、豪華な設えであることも意味のあることに思えてくる。静岡には久能山東照宮があるが、この薬師社も間接的には家康を祀っているという気持を含んでいたように推測する。
それにしても、明治維新の廃仏毀釈の熱病みたいな排斥運動は、ヒットラーやタリバンやISを想起させ、ひいてはトランプ氏や英国のEU離脱まで通底するものを感じてしまう。また仏教界も随分と無力で無節操だったのだと首を傾げざるを得ない。時代の雰囲気というものの空恐ろしさ。