静岡浅間神社で神の遷座を見学する

遷座を見下ろし銀河冴え冴えと
 
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静岡の通称「おせんげんさん」にある神社の一つ、大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)は、3年前から外部の漆塗り替え工事が行われていて、このたび竣工となった。そして12月3日に仮殿の境内八千戈神社から本殿に戻られる神事が斎行された。これが遷座祭であり、わたしも興味津々で出かけてみた。
 
とっぷりと日の落ちた6時に祭りがスタート、まず身を清めた宮司など神職八千矛神社で神に遷座を告げ、20人ほどのお供が松明や弓などの護具をもち、ついで絹垣という白布で囲われた御神体をゆっくりお運びする。テレビなどでみる伊勢の遷宮の際の遷御と似ている。(不謹慎であるが、頭を下げながら、ついついシャッターを押した。神罰がありませんように)
本殿までは百m足らずだが、ライトの消された暗い境内を松明を頼りに進む列は、やはり異様である。笙と篳篥が越天楽(えてんらく)を奏で続け、何とも奇妙な「オーー」というのか「ヲーー」というのか、掛け声のような歌のような神官の声が境内に響き、この声は御神体の出発から本殿に入るまで続いていた。
御神体が新装の本殿に収まり祝詞が奏上され、拝礼、そして本殿の扉を閉める閉扉が行われて式は終了、約1時間であった。閉扉の際も、オーーの声が3度響き渡った。
 普段見られない神事をみようと参拝者も多く、私にも貴重な経験になった。

以下頭をよぎることなど。
掛け声らしき「オーー」という奇妙な声は、神道では警蹕(けいひつ)というらしい。もともと「天皇や貴人の通行などのときに、声を立てて人々をかしこまらせ、先払いをすること」の意味である。
とすると連想されるのが、「隼人の吠声」だろう。犬の吠えるに似た声なのか。奈良時代、ヤマトに服属した隼人は奈良宮の護衛に当たり朝廷の儀式に参列させられ、会場に官人が入場する際に吠声を3節発することになっていたという。これは吠声の呪力で邪気をはらう意味であった。また天皇行幸に供奉し、国境、山、川、道路の曲がりにさしかかると吠声を発したという。ハヤトには蛮族固有の呪能が期待され、まさに原始・古代的守護人の役割を果たしていた、と中村明蔵氏は説いている。(「隼人の古代史」平凡社
また中村氏は万葉集
隼人の名に負う夜声いちしろく わが名は告りつ 妻と恃ませ(2497)
(はやひとのなにおうよごえいちしろく わがなはのりつ つまとたのませ)
を挙げ、隼人の吠声が奈良の都に住む人たちに、「夜のしじまの中でかなり遠くまではっきりと聞こえることで知られていたらしい」としている。
 
また警蹕(けいひつは、)私に折口信夫の「死者の書」を思い出させた。これは以前にも書いたが、 

 http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/64382799.html

このOOの音は、神への声かけ、合図であり、唯一、神に伝わる音・すなわち神が発する音もこの音なのだと私は推測する。能楽の「オーッ」という音に似ていなくもないが、もっと尾を引く発声である。とても犬の遠吠えとは思えない霊威を感じさせるのである。
 
さて、白布の囲い(絹垣)の中には何があるのか、隠されると知りたくなる。先日、少彦名神社の工事見学をした折に、遷座について話があったので、神官に御神体は何なのか、それとなく伺ってみたが話されなかった。
そもそも日本の神は、やしろを持たなかった。今の奈良の大神神社はいまだもって社はない古い形を残している。神は祭りなど必要に応じて降下された。依り代は人であったり、モノであったりする。そして祭りが終わるとまた還っていかれた。それが時代が下ると社が構えられ、神はいつでもそこに常駐しているような扱いを受けることになった。
しかし「千の風」ではないが、本来神は神社にも御神体にもいないのだろう。だから神官も、御神体は神そのものではないという。けれどやはり、御神体を神として扱い、包み隠してまで遷座の祭りなどをおこなう。おかしな矛盾だ。
 
仮殿において出発の式が行われているその時、上空に極めて大きな流れ星が尾を引いて、観客からざわめきが起こった。こうした事が伝説を生むのだろうなと思った。
また、この大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)は万葉集に出てくる「安倍の市」の守護神だったといわれていて、隣の浅間神社よりも古い神社である。この辺りのことも、いずれ一の宮番外編としてメモをするつもり。(以上とりとめもなく)