淡路の一の宮へ

所在地 淡路市多賀740番地
ご祭神 伊弉諾大神伊弉冉大神
参拝日 平成28年12月

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明石海峡大橋を走っていると、まるで空をゆくような気持ちになってくる。そんな浮ついた気分でいやに明るい感じの淡路島に入った。本土とは何かが違う気がする。けれど予想以上に山は高く谷は深い。
いざなぎ神宮は、淡路島のほぼ中央の西海岸にある郡家から1キロ余り入った多賀に鎮座している。この道沿いには延々と石灯籠が並び立てられていた。「くにうみライン」と呼んで神社を中心にすえた街づくりが進められているらしい。
 
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(本殿)
多賀は、古事記に「かれ、その伊邪那岐大神は、淡海の多賀に坐すなり」とある地であり、記紀神話のいわゆる国生みの神でありまたアマテラスやスサノオの生みの親であるイザナギの命が隠れた場所とされている。したがってこの神社は「幽宮」(かくりのみや)ともよばれている。
 
さほど古くはない神明鳥居に向かうとそこに「ポケモンGO厳禁」と立て札があって、おやおやと失笑を誘う。参道には両側に常緑樹が聳えなかなか風情がある。神殿は深い樹木に包まれ、本殿はいわゆる流造向拝付で幣殿と連結して構えが大きく立派なたたずまいである。
この社殿は明治15年に改築されたもので、それまでの本殿の後ろにあったイザナギ命の御陵と言われる禁足の円墳を整地して建てられているのだという。神社が墓地の上に建てられているわけで、墓が神社である例の一つである。
 
しかし、私の目には伊勢のご栄光が色濃く感じられた。この社は国を生んだ親、アマテラスの親神ということで明治以降国家神道の勢いに乗り発展したものに思えるが、どうなのだろう。それにしても国を作ったという神代の架空神が、人間のように墓に葬られると言うのはおかしな話。どこかの段階で実際の権力者と神話の神との混同が起こったのだろうが、説明を探してもみあたらない。
 
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(拝殿)
イザナギイザナミの原始の姿は、淡路の海人たちの信仰するローカルな神であったらしい。松前健氏は「日本の神々」(中公新書)でこの2神の性格について詳細な検討をしているが、
アマテラスとイザナギイザナミの親子関係は、決して本来的なものではない。イザナギの崇拝の母体地である淡路島には、アマテラスは祀られておらず、またイザナギは宮廷では祀られなかった。したがって・・・宮廷で宮廷でイザナギを皇祖神の親とする信仰が古くからあったとは思えない。
アマテラスが皇祖神となったのは、それほど古い時代ではなく、7世紀になってからであり、・・・イザナギイザナミをこのアマテラスの親神としたのが、さらにそれ以降の成立となるのは明らかであろう」と結論付けている。
 
イザナキノ命は、古くから淡路島の海人集団の信仰する神であったこと、国生みの順序は淡路島から始まっていること、「日本書紀」には、淡路島を胞(え)として大八洲を熟んだとする伝承もあること、などを考えると、松前健博士の説のとおり、国生みの神話の原型は、男女両神が淡路島やその付近の島を生むという物語であったが、これが宮廷神話として語られるとき、大規模な大八島国生みの物語に発展したものだろう」(「古事記」次田真幸 講談社学術文庫)というのが、今のところ大方の納得するところであるようだ。
 
では何故、淡路の地方神が皇祖神の親として、国生みの神として祭り挙げられたのか。
松前氏は、大嘗会の神事に加わる語部に、淡路出身の二人がいたので、もしかするとこの二人は国生みに関する神事歌を語ったかもしれない、とし、また淡路が宮廷の食料の献納地とされていたことから、いわば台所から(非政治的圧力で)入ったのではないかと推測している。それほどよく知られた神であったともいえるわけだが、事実は不明である。
 
それにしても
成り成りて成り合わざる処一処あり」「成り成りて成り余れる処一処あり」と言い合い、イザナギがどう?と聞くとイザナミは「然善けむ」(しかよけむ)と答えたまひき。
この辺りはいかにもおおどかで、エロチックであり、こういう書物を日本がもっていて良かったなと思う。
 
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(境内にあった、頭髪感謝の碑。おもわず撫でてお参りしてしまった。イザナギがはげていたわけではないと思うが・・・。本文とは関係ないけど一応)

また、この神社には「香」がたくさん売られている。私も母の墓前にと一つ求めた。聞くとこの付近は「線香」の産地で生産量が日本一だと言う。これにも古い歴史があって、日本書紀の推古3年夏4月「沈香(香木の一種)が淡路島に漂着した。その太さは三尺ほどもあった。島人は沈香ということを知らず、薪とともに竈でたいた。するとその煙が遠くまで良い香りを漂わせた。そこでこれは不思議だとして献上した」という記事がある。中国には産しないというから、おそらく熱帯から流れてきたのか。このころの日本書紀の記事には、新羅から、カササギ(白鳥)2羽、孔雀、百済からラクダ、ロバが贈られるなど、大陸に興味津々という様子がうかがえる。この沈香もその一つだろう。
近くの海岸には枯れ木神社と言う祠があり、ここに漂着したとのこと。本当に神社はタイムカプセルだと思わせる。
 
 
自凝島神社(おのころじまじんじゃ)
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言うまでもなくイザナギイザナミが初めにつくった島であり、そこで「みとのまぐわひ」をして淡路島をそして次々と大八洲を生み出すことになる舞台である。
古事記では、こんな書き振りである。
二柱の神、天の浮き橋に立たして、その沼矛(ぬぼこ)を指し下ろして画きたまえば、塩こをろこをろに画き鳴して引き上げたまふ時、その矛の末(さき)より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島(おのごろしま)なり。
 
いかにも製塩をして鍋で煮詰めている雰囲気が伝わる表現である。
この島はどこなのか、という詮索が古来行われてきたようだ。この神社の地もその一つである。南あわじ市のきれいに圃場整備された農地の広大さにはほれぼれしたが、この平地に径100m足らずの小高い丘があり、それが日本始めのオノコロ島だという。ちょっとみ古墳にも思える。
小さな社だと思っていたが、着いてみて驚いた。赤い大鳥居が不自然なほど大きく聳えている。島よりも高そうだ。駐車場も広い。しっかり社務所もあり朱印もいただける。といっても、ご近所のおばさん風情の方であった。
話を伺うと、戦後は丘の木も枯れて荒れていたが、昭和56年に大鳥居を造営して以来、観光客が急に増えたのだという。バスで大挙して押し寄せるらしい。
この社殿も古くは社殿がなく、松を御神体としていたらしい。「豊かな稲穂がそよぐ平野に、あたかも海に浮かぶ島のように、ぽつんと緑の丘がある。国生み神話を語り継いできた(地元の)三原の人びとは、この丘にオノゴロ島のイメージを重ねたのかもしれない。」(武田信一「自凝島神社」『日本の神々』3白水社
 
ご祭神はイザナギイザナミの命。境内には「みとのまぐわい」を教えたと言う故事にちなんだセキレイ石なども置かれて、いろいろ演出している。
名物の淡路たまねぎを、ここの無人販売所で購入。A級品ではないが、よそより安く買える。