明石の「五色塚古墳」へ

陵や茅花流して瀬戸の風(みささぎやつばなながしてせとのかぜ)
 
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五色塚古墳は、淡路島を望む台地の上に築かれた全長194mの前方後円墳で、淡路大橋のすぐたもとに位置する。日本書紀にも出てくるので、かねて行ってみたいと思っていた。
 
大きさでは全国40位ということで、その数字だけきけば驚くことはないのだが、上ってみれば淡路島まで一望であり、古代、瀬戸内海を行く船を睥睨した威光溢れる古墳であったことは想像に難くない。今はそのすぐ脇を巨大な白い橋が聳えていて、1500年のときの推移を思わせる。
 
古墳はきれいに整備されていて、とくに上段は淡路島から運んだ石で葺かれている。私は、白い石で葺かれていて、朝日には白々と輝き夕日には真っ赤に染まり、船行く人々はその神々しさに頭を垂れたのだろう、と想像していたが、どうやらそこまでの色彩ではなさそうだ。
「4世紀の終わりごろ、この古墳に葬られた人は、明石海峡とその周辺を支配した豪族だと考えられる」と神戸市のパンフレットでは説明している。
日本書紀には、韓国に遠征した神功皇后が帰途、九州で後の応神天皇を出産したため、その皇位継承を阻もうとカゴサカ命とオシクマ命が父の仲哀天皇のための御陵をつくると偽ってここに山陵を作り淡路の石を運んで兵を配備し、神功皇后の来るのを待った。
ところがカゴサカ命が赤い猪に食い殺されたので、オシクマ命は不吉だとしてこの地を離れ住吉に退却しその後各地で戦闘を展開した、と書かれている。しかしここは山城のようなものではなく列記とした古墳であり日本書紀は潤色であるという。
しばし記紀の時代を頭の中に思い浮かべてみる。
 
いくぶん興ざめだったのは、古墳を飾る埴輪がすべてプラスチックのレプリカだったことだ。そのため古墳全体が軽いおもちゃのように感じられる。
これは、信州の「森将軍塚古墳」の埴輪がしっかりした焼き物だったのに比べると、印象の差は歴然としている。
しかしここに上って瀬戸内海の明るい海を見下ろすと爽快な気分になることは間違いない。
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(森将軍塚古墳:長野県千曲市 杏の里のすぐ近く。遠方は長野市の市街)