万緑の雲見おろすや投入堂
国宝の投入堂をみにいった。
お堂は三朝町の山奥、標高520mの切り立った崖に建てられていて、下は目もくらむ千丈の谷である。足場もないのに一体どうやって建設したのか?役行者が呪術でもって投げ込んだという話が生まれるのも無理は無い。
このお堂の本尊、金剛蔵王大権現は1168年康慶の作と判明しており重文指定。康慶は運慶の父である。宝物殿に安置されたその像は、金色で右足を上げた躍動的な像であり思ったよりも小さかった。お堂も蔵王権現像も平安の末期の作である。
私は朝8時頃三仏寺に着き、誰もいない寺にお参りを済ませて登山口が開くのをまった。8時半頃登拝口が開かれたが、安全確保のため独りでの登山は禁止されている。しばらく待つと9時過ぎに3人の男性グループがみえられ快く同行させていただくことが出来た。
袈裟をかけて軍手をはめてスタート。修験の修行の道だけあり、普通の登山道をイメージしたら大間違いである。木の根に摑まって崖を登りクサリで岩壁をよじ登る。途中にお堂は崖に突き出して建てられていて、空中に突き出したその縁を恐る恐るめぐる。大きな杉の木が林立していて、遥か彼方には日本海が見える。
登ること小一時間ようやくのことで投入堂をみることができた。
(途中の文殊堂の縁にすわる・・・目がくらむ)
どういうつもりでこんな建設をしたのだろうと、半ばは呆れるが、幾分は解りそうな気もする。修行では体をいじめて、生意気な頭の働きを最小限にし、自然・宇宙に吸い込まれるような一体感に陶酔する。それが山岳宗教。しかしその一方、その陶酔を正当なものとし、教団を保持発展させるために政治的に、神のための権威ある仕掛けを設営する必要もあった。その際には、極めて構築的に緻密に頭脳を働かせる。それが仏教なのではなかろうか。とすれば、登坂の過酷さは修験の、登りつめてみる精緻な建造物は、高度に哲学的な仏教のそれぞれの要素なのだろう。役行者と慈覚大師:円仁が合体して、この山岳仏教が成立している。
などと漠然と納得しながら、(?あまり納得もしないが・・・)さて、みなで記念写真を撮って、下山。3人のお仲間のうち一人が、高所恐怖症で汗をかいておられるのが私には面白かった。
参拝するには日本一危険な国宝だといううわさもむべなるかな。
(参考までに: