両面宿儺(りょうめんすくな)-1

行く春も睡りしままの仏かな
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(千光寺円空仏寺宝館)
両面宿儺の像をみに高山の千光寺を訪ねた。円空の傑作のひとつである。寺は高山市街から10キロほどの山の中。円空が和尚と気があって長らく滞在した寺だという。
像は高さ1mに欠けるくらいだろうか。鉈の削いだあとも荒く大胆でありながら、手間をかけて丁寧に彫られている印象で、この像にこめた円空の気力を感じさせる。像の下半分は岩だろうか、宿儺はその上に胡坐座し、無骨な手には武器ではなく斧を持っている。顔は厳ついが存外穏やかである。左肩の上からはもう一つの顔がこちらを向いていて、これは怒りの表情をしている。

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(上野の国立博物館のポスター)
 
両面宿儺は顔二つ手足各4本の怪人で、日本書紀に登場する。
 
「(仁徳天皇)六十五年、飛騨国に宿儺という人があり、体は一つで二つの顔があった。顔は背き合っていて、頂は一つになりうなじはなかった。それぞれ手足があり、膝はあるがひかがみはなかった。力は強くて敏捷であった。左と右に剣を佩いて、四つの手に弓矢を使った。皇命に従わず、人民を略奪するのを楽しみとした。それで和珥(わに)臣の先祖の難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わして殺させた。」(宇治谷孟 訳)
 
ヤマト王権にまつろわぬ怪人で、まるで阿修羅である。しかし円空の刻んだ像は、日本書紀のすさぶる怪人ではないようだ。
千光寺のホームページでは、「飛騨国千光寺は、縄文弥生の古え薫る仁徳天皇の御代、今から1600年前に飛騨の豪族両面宿儺(りょうめんすくな)が開山し、約1200年前に真如親王弘法大師十大弟子の一人)が建立された古刹です。」と記している。
また、飛騨一の宮水無神社も奥の宮のある位山について、「位山の主の宿儺(すくな)が雲の波を分け天船に乗って位山に来たという古伝説もあり、位山が古代において何か宗教的な神秘性を持ち、位山の神秘性が宿儺という人智を超えたものに凝固したと見る説もあります。」と記している。

(参考: http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/65470368.html

 
日本書紀にいう逆賊とは正反対で、飛騨では両面宿儺は国の豪族であり、地の神として崇められていたことが知れる。正史とは常に支配者、勝者の歴史であることがよく判る。
円空は、「宿儺」を千光寺開山の祖として、鉈を持った開拓者としてこの像を刻んだのだろう。尊崇の心があふれていて、なぜか九州の石人をおもいださせる。(参考:http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/64576978.html