両面宿儺(リョウメンスクナ)-2

遠雷や飛騨の宿儺(すくな)は顔二つ
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それにしても、両面で4本の手足とはどんな人だったのか。
と思っていたら、先日テレビでアビーとフリトニーの姉妹の報道を眼にした。アメリカに実在している姉妹で首から下が癒着している奇形である。ベトナムのベトちゃんドクちゃんをおもいだす。ただしこの姉妹はとても元気で大学を卒業し、「2人」で相談して地もとの学校の先生になって活躍していて、26歳になったという。骨盤から下部は一つの器官を共有しているものの、2人の別の人格らしい。腕は2本だが各人一本ずつコントロールしている。運転免許証も別々に交付されている。実に稀だがこうした妙なことが実際にある。
としたら、両面宿儺は二人の別個の兄弟を1人とした架空の人間だとするような解釈もあるようだが、もっと素直に合体人間と考えてもいいかもしれない。日本書紀の描写も細部がリアルでそれに足る真実性がある。
 
しかしまた合体人間は昔から神話に登場するキャラクターだ。
有名なプラトンの「饗宴」では、アリストパネスの説明として、昔人には男、女と男女の3種があり、体は球体で4本の脚と4本の手、と反対をむいている二つの顔があったとしている。これが神々への攻撃を企てたためゼウスはその弱体化を図るため、稲妻で人間の身体を半分にした、だから男は男を、女は女を、男女は夫々異性を求めるようになったという話である。(プラトンのころの恋の常識は、今よりずっと多様だ)
 
大林太良氏は山形県真室川の昔話としてむかし爺と婆は合体していたのを神様が哀れんで稲妻でズカッと割って別々にした、それから性行為ができて子孫が栄えた。という話を紹介している。(『神話の系譜』「真室川の饗宴」・・・背中合わせの男女)


古代ギリシャ真室川に何かつながりがあるのか?あまりにも類似していることに、氏のような大学者さえ驚いている。加えて氏は「饗宴」と両面宿儺では、迅速強力で秩序に反した点が共通していると指摘する。「饗宴」から直接借用した可能性は低いながら、「このような類似はとても偶然とは思えない」といい、バビロニア、インドやインドネシアのニアス島、南米に似た神話があることを紹介している。
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(飛鳥橘寺の二面石:このほか飛鳥の猿石などは
石の背後にも像があるものが多い)


また真室川の話も両面宿儺も、このような大きな流れの一環をなすものではないか、として、「この両面宿儺は、古代ローマにおいて両面のヤーヌス神が、朝の神、始原の神、門の神として崇拝されていたように、古代の飛騨びとたちが崇拝していた重要な神の零落した姿かもしれない」と、日本文化にもまだまだわからないことが多い、と考え込んでおられる。
 
わたしは、これまで両面宿儺は、仮面を付け替えながらまるで手足のように見える衣装をまとい激しく動き回る神がかりした男が、祭を司り飛騨の人びとを導いたことが、その原型ビジョンにあるのではないか、と空想していた。が次第に、実在しても不思議ではない気もしてくる。・・・わからない。