梅いちりん

梅一輪信濃は今朝も雪らしい
 
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2年前に大型ポットに植えた梅が、一つだけ花を開いた。まだ恐るおそる、といった風情だ。
この数日、全国的に寒波で荒れ模様。郷里の奥信濃もどか雪のようだ。当地は雪は降らなかったものの、3日ほど連続して薄氷が張った。そんな程度なの!とかえって驚かれてしまいそうだが、静岡はそれほど気候が穏やかである。しかし、まだまだ花にとっては、警戒を怠ることは出来ないようだ。
 
梅は南紅梅。
梅のように花と香りと実を楽しめる木はすくないだろう。今年は期待できそうなのだが、我が寸土の庭にはもう植え込む余地がない。さてどうしたものか?
 
梅一輪といえば「梅一輪いちりんほどの暖かさ」を知らない人はいないだろう。だけど私は恥ずかしながら、誰の句か思いつかなかった。服部嵐雪という芭蕉の高弟の句だという。ほかにも
蒲団着て寝たる姿や東山
元日や晴れて雀の物語   
などがよく知られていて、今時のコピーライターのように口に滑らかで印象の鮮明な句は一度よんだら忘れられない。
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(中央が嵐雪。「俳仙群会図」蕪村筆の一部)
江戸時代の1816年に刊行された「俳家奇人談」(竹内玄玄一著)という俳人を網羅的に紹介した本が岩波文庫から出ていて、ここに嵐雪は「淡洲小榎並」の生まれだと書いてある。小榎並はこえなみ、と訓む。

淡路のえなみ?聞いたことがあるな。
と思ったら、実は先月淡路島で、「オノゴロ神社」を探しながら車を走らせていた折に、南あわじ市に「大榎列」と書いておおえなみと読む場所があり、とても読みにくい、と思って記憶に残ったのだった。「オノゴロ神社」はイザナミイザナギが「みとのまぐわい」をされたという国生み神話の地である。

調べるとあるwebに、「江戸時代には大榎並村、小榎並村があったが、明治10年には西川村を含めての3村合併で「榎列村」が誕生した。」という記事があった。
この辺りは島というイメージに合わないほど広い平らな農地が広がっていて、そこに特産「淡路のたまねぎ」畑が広がっていた。「俳家奇人談」でいう嵐雪の生地はこの近辺ということになる。

またこの地は、ある古文書では「榎烈村」とも書かれているという。嵐雪の妻は「烈」といい唐猫(黒猫)に夢中だったとかかれているが、この名は「なみ」と訓むのだろうか。「榎烈村」と関係があるのだろうか。「妻の名を烈といへるも、嵐雪の切(かえし)なりと」と本文には書かれているが、どういう意味だろうか。(取りあえずしばらくの宿題だ)

他愛もない話である。