若冲の墓に詣でて

笑いつつ羅漢埋もれる落ち葉かな
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伏見稲荷へ詣でてから近くにある石峰寺に寄った。大きい寺ではない。
斜面の窮屈な家並みの中に寺の看板と標石があり、そこからきれいに清掃された石段が続いていて、それが参道になっている。両側の植え込みには南天が真っ赤に色づき、そのわずかな繁みの隣には一般住宅が並んでいる。4,50段も上ると黄檗宗の特徴的な赤漆喰の竜宮門のアーチが見えてくる。
 
この寺は、晩年に若冲が身を寄せたところで、彼の墓や、彼のデザインした五百羅漢像がある。掛け軸なども在るというが公開日は限定されている。
五百羅漢は、裏山の翳った林の中に寒々と並んでいた。釈迦の誕生から説法、涅槃など場面別に構成されていて、小道に沿ってある種、劇場型になっているのが面白い。釈迦を大根にして野菜をならべた奇抜な涅槃図を描いた若冲である。当然この羅漢像も普通ではなく、表情が面白くて水木しげるの漫画を思い出させた。寒い林の中で彼らは落ち葉にうずもれていた。(写真禁止でした)
 
墓は特段立派なわけではない。ただ、墓石をみると若冲の冲がさんずいの沖という字なのでおや、と思った。澤田瞳子の「若冲」(文藝春秋)にはこの号についてふれて、
老子」第四十五の「大盈は沖しきが若きも、その用は窮まらず」(たいえいはむなしきがごときも、そのようきわまらず)、すなわち「満ち足りたものは一見空虚と見えるが、その用途は無窮である」という一節から付けてくれたもの。色の上に色を重ねるが如き華やかな絵に漂う寂寥を承知の上で、だからこそ若冲の絵には、何者にも真似できぬ意義があると断じての命名であった。(296p)と書いている。
 
漢文では、「大盈若沖、其用不窮」となる。「冲」は「沖」の俗字だという。むなしいと訓ずるらしい。墓にはロケットのような形をした(筆らしい)碑があり、これは彼の生家の店主が後世建てたものであるという。これも奇抜である。
 
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若冲の墓:筆の碑が右側に)
今年の5月に上野で開かれた若冲の生誕300年記念の展覧会は、ひどい混みようだったようで、友人は4時間待ったとはなしてくれた。若冲人気が沸騰している感がある。

私は静岡県立美術館の「「樹花鳥獣図屏風」しか観たことがないのだが、これは奇想であるが傑作とは私には思えなかった。いわゆるプライスコレクションの「鳥獣花木図屏風」も似た構想で描かれたものだが、どちかが偽物だとして、真贋論争が収まっていない。

澤田瞳子の「若冲」では、静岡県立美術館の「樹花鳥獣図屏風」はニセ絵師の市川君圭が若冲の諸作から図柄を抜き取って、「白象獅子図屏風」の枡目がきの技法を取り込んで描いたものとしている。この絵をみた若冲が贋作に負けじと描いたものが、「鳥獣花木図屏風」でありそれはこの石峰寺で描いたというストーリーになっている。すなわちプライスコレクションのほうが真作であるという説に加担している。
ストリーは少し無理な気がしないでもない。
ただしニセ絵師の市川君圭は若冲自死した妻の弟と言う設定であり、若冲と君圭の二人の心理的葛藤がからんでいて、それを背景にして若冲が贋作を「これは・・・これは私の絵どす」と、谷文晁の前でつぶやいた、と言う複雑な構成となっているので、この辺は読んでみるしかない。
 
それにしても辻惟雄の「奇想の系譜」という本を目にしてからじきに半世紀。美の潮流も変化していくことを感じざるを得ない。