讃岐富士にのぼりました

秋深み野火の烟りのたなびきてのどかにおわす讃岐の富士は
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丸亀城からみた讃岐富士)
四国に足を踏み入れるたびに、この山のもつ独特なのどけさに迎えられ、私はいつしかこの姿を見るのを喜びとしていたようだ。車窓にあっても目はいつもこの山の姿を探していた。これほど愛着を覚える山は珍しい。
いつかこの山に登りたいものだと思いはじめてもう二十年以上になろうか。静岡にいるとなかなか登る機会もないが、先日、念願がかなった。

丸亀市の野外活動センターに車をおいて、落ち葉の深い山道を約一時間。道は三合目までは右回りだが、そこでいわばスイッチバックして左回りになり、らせん状に一回り半して422mの山頂に続いている。山道からは讃岐の平野が一望である。あたかも古代の神が国見をしてるような悠悠とした気分が味わえる。意外なことに山頂には野良猫が数匹たむろしていた。

讃岐の平野からは、讃岐富士と同様な形のいい円錐形の山がたくさん見える。これらは富士山と同じ火山なのかと思ったら、そうではないようだ。
極めて大雑把に言うと、讃岐富士は約半分から下が花崗岩でこれはおおよそ1億年も前に火山活動によってできた地質、そしてその上に1000万年ほど前にできたやはり火山性の讃岐岩質安山岩類といわれる硬い地質が乗っている構造になっているという。硬い地質は崩れにくいので切り立って尖り、花崗岩は柔らかいので崩壊して緩やかな斜面となる。という理屈であるらしい。なるほど上部に行くにつれ、足下には黒い光沢のある岩が目立つようになった印象がある。
ともあれ、こうした地質が1000万年を越す時間の中で、徐々に削られて今の形になったのだということだ。
(人間の体は、大地の成分などで作り上げられているから、この削りとられた岩石、土砂によって、丸亀付近の人間がゴーレムのように作られたと思っても良いのかもしれない)

津森明氏は、
西麓には飯神社が鎮座し、祭神は飯依比古命(いいよりひこのみこと)。この神は讃岐の国魂であり、また米飯を司る神であり、農耕神(とくに水神)と結びついた神である。また往古神社は山頂にあり、おそらくは山自体が神であったのだろう、山頂には巨石があり、それは先史時代の巨石文化で祭祀に使われたものらしい。と説明している。(「日本の神々」2 白水社
いかにも女神が居そうだと思わせる、山容なのである。それは古代人にも現代人にとってもおなじようだ。

鹿児島の開聞岳、滋賀の三上山(http://book.geocities.jp/geru_shi_m/tagataisya.htm
いずれも麓に行きながら登れなかった山である。いずれは、と言っても私にそうそうチャンスはめぐって来そうにない。
(ちなみに讃岐富士は子供でも往復1時間半だとか、私は急いで2時間強。
  ああ・・・老脚に手心もなし讃岐富士