初春の久能山東照宮と日本平へ

四百年千百五十九段に寒桜
 
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親戚が来たので、国宝になった久能山東照宮日本平を案内した。
東照宮は久能の浜側から詣でると、1159段の石段を登ることになる。1159を「いちいちごくろうさん」と言ったらしい。日本平のロープウェイからだとこれが100段で済む。今回はロープウェイ。
 
早咲きの寒桜が、3分咲きだった。
 
徳川家康1616年4月に死去、社殿は急ピッチで建設され、1年7か月で創建されたといわれる。400年を経た豪華なつくりである。日光に比べて注目されることが少なかったが、数年前に本殿等が国宝指定された。
 
家康の廟は本殿から少し上った所にあり、墓は西を向いている。
西を向いているのは、西国を鎮護するためと言われているが、日光東照宮禰宜(当時)高藤晴俊氏は、「日光東照宮の謎」(講談社現代新書)に、こんな謎解きをしている。

久能山の墓から西にラインを延長すると、その上には静岡、鳳来寺山、岡崎、という家康の関連する地が乗ってくる。鳳来寺は家康の生母が子授けの祈願をした寺であり、岡崎は生誕地である。
この北緯34度57分30秒の線上には、家康の本地仏とされる薬師如来を祀る鳳来寺山をはさんで、西に生誕の地、東に埋葬の地があることになる。」としてこのラインを「太陽の道」とよぶ。
太陽は東に上り西に沈み、再び東に上る。「つまり、死と再生を繰り返す太陽が東から昇るように、家康が神として再生するするために」この久能の地が選ばれた、のだという。
 
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(国宝本殿の壁画)

同様に本殿の背後を延長すると富士山を経て日光に通じていて、それは「不死の道」、そして日光は江戸の真北に当たりそのラインは北極星に続く「北辰の道」という方角呪術的な説を展開していて、なるほどと思わせる。
でも、ピラミッドでさえこうした発想はあったのだからそう不思議な秘儀とも思えない。
 
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(夢テラス・・・富士山は画面右だが見えない。)

日本平山頂は、今を時めく隈研吾氏による展望施設「夢テラス」が昨年完成している。異常なほどの人出で、駐車場に苦労した。
地元の木材をふんだんに使ったテラスで、まだヒノキの匂いがして心地よかった。しつこくないし品のいいデザインで田舎っぽい日本平が、垢抜けしたと思えたが、木材はどの程度耐久性があるのか余計な心配が脳をかすめる。