駿河七観音---久能山越道と日本平

平澤寺から久能山へのルートを、友人と歩いてみた。日本平ハイキングコースである。駿河七観音には古代中世の信仰の道があるはず、という当て推量をネタにして、これまで静岡郊外の低山をいろいろ歩いたのだが、その一つのつもりである。

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日本平山頂からの富士山)

 

久能山については「久能山誌」(静岡市発行)という立派な本がある。その中で、平澤寺と久能山について、

「平澤寺は、江戸時代の地誌「駿河記」によると、鎮守十二所権現が久能寺と同じ祭神を祀っており、中世には久能寺末寺の天台宗の寺院として存在していたものと思われる。本堂左側に久能山越道があったことから、久能寺の北西側入り口を守る存在であった。」

という記述があった。やはり信仰の道はあったのだ。当然かもしれないが・・・。

 

(ちなみに、後日また7観音の一つ「久能寺」をアップするつもりだが、「久能寺」は現在は無い。その場所は現在は、久能山東照宮であり、また寺は移され、現在の清水区にある「鉄舟寺」となっている。)

 

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(途中の切通し)

 

ここにいう、久能山越道とはどういうルートをさすかは知らないが、現在の日本平へのハイキングコースに近いものだろうと思い、平澤寺に車を置いて、観音堂を通って歩き出した。一部ゴルフ場に開発されているので、そこを迂回するが、穏やかなのぼりを1時間ほどでホテルの脇を抜けて、日本平山頂に着いた。冬の日の中で気持ちよく汗をかいた。

 

日本平は、富士を望む名勝としてよく知られた名前だが、この山自体は有度山といい、山頂付近の平坦な部分が日本平である。そこから駿河湾側は、海によって削られた崩壊地であり急峻な崖となって崩れ落ちている。人が歩ける場所ではない。久能山はいわば崩れ残っているピークであり、そこに東照宮がある。崖をまたいでロープウェイが観光客を運んでいる。

友人の話では、昔は(1974年の七夕豪雨以前)この崖にも海側から昇ってくるルートがあり、子供たちも上ったという。ということは古代中世には、今より安全なルートがあったのかもしれない。多分それが久能山越道なのだろう、と勝手に想像する。

後日、「静岡県 登山・ハイキングコース147選」(昭和44年)という古いものが本箱の隅から出て来て、この中に「日本平」も紹介されているのを見つけた。よく見たら、海岸側から登るコースが紹介されていて、驚いた。ここにはほぼロープウェイの下を通り屏風谷を上る柳沢コース、蛇塚から登るコースがしっかりと書き込まれていた。多分今は通れないだろうが、確認したい気持ちもわいてくる。

 

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(少し先東に有度山山頂306.9mがみえる 手前が日本平山頂)

日本平=)有度山の山頂は、地図によれば別の場所にある。で、その山頂を極めるべく、近くに見えるこんもりしたピークを目当てに幾分やぶも漕ぎながら、辿り着いて、やっと三角点を見つけ出した。5mほど先は崖の縁である。早々に退去した。ここにも徳富蘇峰の碑があると、あとで知ったのだが、気が付かなかった。