聖一国師の峠道・・・ティーロードを歩く

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(奥の山並みが今回越えた尾根筋。中央の突き出たのが突先山1022mになる、釜石峠は右端あたり)

 

ティーロードなどというハイキングコースの紹介があったので、E君S君と3人で5月の末に歩いてみた。

コースは静岡市の山間部、藁科川上流の栃沢から足久保川上流の奥長嶋まで、途中847mピーク付近の釜石峠を越えるルートである。登山道入り口まで車を付けたので、実質行程4㎞程度、標高差は400mほどと思われる。

峠越えの距離は短いが、登り口と下り口はいわゆる沢筋が違うので、車を両方に配車するためには下山口からいったん町まで下り、改めて山に入り登山口まで40㎞以上走らなければならなかった。すなわち、現在車では栃沢と足久保は40㎞離れているが、かつて峠が主要道であった頃は、4㎞しか離れていなかったということになる。 

しかし、このハイキングルートは荒れていた。そして結構急坂できつかった。とくに足久保と釜石峠の間はザクで荒れていてコースはしっかりあるのだが、歩く人も少なそうで、整備が全く行き届いていなかった。

私たちは峠から稜線を辿り、1022mの突先山を往復した。お昼休憩も入れて4時間半の行程だった。私にとっては突先山は2度目となるが、今回は急坂が非常にきつかった。

 

f:id:zukunashitosan0420:20200615111317j:plain (荒れた山道)

さて、足久保の地は静岡茶の元祖として「本山(ほんやま)茶」といわれる古いブランド産地である。江戸時代には江戸幕府に茶を多量に納めていたという。その茶を足久保に初めに持ち込み産地形成の基となったのが、聖一国師という僧だったといわれている。

聖一国師とは、おくり名であり僧名は円爾弁円で、栃沢に建仁2年(1202年)生まれている。幼くして久能山久能寺に学び、長じて宋に渡り、帰国後に博多に承天寺を、京都に東福寺を開山する。当代きっての高僧だったようだ。彼は、宋から持ち帰った茶の実を植えさせ、茶の栽培も広めたことから静岡の茶(本山茶)の始祖ともいわれている。晩年は駿河に戻り、墓所は安倍川沿いの蕨野にある回春院である。

 

すなわち、今回の峠越えルートは、彼の生家と彼が種をまいた茶をむすぶ道だという訳だ。そこからティーロードなる発想が出ている。

でもなぜ生家の栃沢から山を越えた部落の足久保に貴重な種をまいたのか、いささか疑問もわく。また中国から持ち帰ったというのも疑問のわく点で、当時はすでに宇治を始め各地に茶栽培が広がりを見せていたころであり、他産地から種を持ってきたと考えるほうが自然に思える。足久保茶の箔づけに賢い人が国師を持ちだしたのかもしれない。が、本家本元、元祖とは得てしてこうしたものだ。

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(栃沢の生家近くにある聖一国師の碑)

だが、国師がこの峠を越したというのは実際にあったと思われる。足久保には七観音の一つ法明寺がある。道の途中で彼は、この寺によったこともあっただろう。そして高僧を慕った人が生家を訪ねてこの峠を越したこともあったかもしれない。何より峠を越えて出てきた足久保川、安倍川の川筋のほうが藁科川筋よりも明るく谷が浅く、駿府への道も容易であったのではないか。歩いてみると、そんな気がしてくる。

 

私は、七観音を頼りに山越えの「祈りの道」をもとめて、近在の山を歩いているが、ややこじつけながらこのルートも信仰の道として七観音シリーズの番外に入れておきたい。