磯近く僅か家あり氷下魚干す
厚岸の霧多布から電話が来た。
「こまい(氷下魚)送ろうか?干物だ。こっちの酒のつまみだよ。
「ただし、本当に硬いよ!金槌でたたいて柔らかくして、尻尾のほうから皮をむいて・・・
「??・・・面白そうだね。送ってくれる?
数日して送られてきたコンブの脇にその氷下魚の干物が入っていた。タラの小さいもののようにみえる。氷の下から釣るのでこんな名前になったらしい。
触ると、確かに堅い。
で、言われた通り、新聞紙を敷いてその上で金づちで叩いた。ところが、まるで木のようで、金槌が撥ね返される始末。びくともしない。なんじゃあこれは!
その日はあきらめて、水につけて翌日ふやけたところを、皮をむいて炙って食べた。邪道かもしれない。
皮がこんなに丈夫なものとは知らなかった。魚の皮で作った服を、たしか網走の北方民族博物館で見たことがあった記憶があるが・・・。
いろいろ工夫してかじっているうちに数日たつと、幾分湿気を吸ったのか、手でも曲げることができるようになり、くねくねと何度もやると、皮を剥くこともできた。そこで実をはぎ取って食べる。実にいい。磯の風味と干物の香ばしさ。他は何もない。
「村の九十歳のおばあさんの手作りだよ。この人がなくなったらこれはもう食べられないよ。」
ありがたい。鮭とばもいいが、これもいい。食べるという命の営みは、まさにこれだ、と素直に感じさせる。酒にはもってこいだ。
(10年前に網走市の郷土博物館にあった絵。オホーツクの民が埋葬をしている。記憶に残る絵だったが誰の絵かも知らない。まだ展示しているのだろうか?)
昔、道東の海岸線を一週間ほど走ったことがある。行けども行けども原野が続いていた。交通信号は全くなかった。ときおり牧草地、林があって、申し訳なさそうに小さなコタンがあった。網走のモヨロ貝塚や標津町の伊茶仁カリカリウスなどの遺跡を巡りながら、私は、海を越えてきた北方民族のことを考えながら走った。
氷下魚をかじり、独酌していると、そんなことがいろいろ思い出された。
句は、実景ではない。氷下魚という言葉は冬の季語になっている。