#旅行

萩原朔太郎の「広瀬川」

今さらの朔太郎とは思えども広瀬川の流れ滔々 高崎へ向けて車を走らせていて、前橋がすぐ近いなと気がついた。前橋といえば、萩原朔太郎の生地ではないか! 思い立って前橋の中心街にあるという文学館にむかった。予備知識がないので、スマホで調べながら行…

対馬の石は面白い

防人の積みし石なり北西風(アナジ)吹く (あなじ、とは対馬でいう冬の北西風のこと。対馬は風が強い。) 金田城 対馬の金田城は、663年に白村江の戦いに大敗した大和政権が、防衛のために急造した山城である。山頂を取り巻くように石を積む朝鮮式なので、…

アマテル、ツキヨミ、ムスビの神は壱岐対馬からか?

先にワタヅミ神社にヤマヒコ、タマヨリヒメ神話の世界を見てきたが、さらに国の誕生神話に類似する伝説を残す神社が壱岐対馬にはある。それは日の神のアマテル神社と月の神の月読神社、そしてムスビの神の神社である。 日本書紀では、イザナギがイザナミに追…

韓国が見えた

望郷や海市の如くプサン見ゆ 対馬の最北端、韓国展望所までは厳原から約80キロ。途中の道路は整備が進められていて長いトンネルがいくつも島を貫いていた。そしてほとんど制限速度表示がない、ということは普通60kmということでこれも本州ではあまり見ないこ…

曾良(俳人)の墓

壱岐の宿なるほど硬し新豆腐 (河合曾良の墓) 曾良の墓が、壱岐にあると知ったのは司馬遼太郎の「街道をゆく」からだった。 司馬遼太郎によれば、曾良は芭蕉の亡きあと、幕府の巡見使の一員となって壱岐にわたり、島の北端にある勝本の港の海産物問屋中藤家…

季語「春一番」は壱岐うまれ

壱岐対馬つかず離れず冬の靄 (防潮堤の文字が目立つ) 壱岐では、郷ノ浦に宿をとった。早朝に漁港を散歩すると、快晴の玄界灘は水平線まで雲一つなく、素晴らしい深い海の色だった。句にしたような靄など全くない。 入り江の防潮堤に進むと、大きく書かれた…

一の宮巡詣記(66番) 壱岐の天手長男神社

天手長男神社 (壱岐) 所在地 郷ノ浦田中触字鉢形山 祭神 天忍穂耳尊、天手力男命、天鈿女命 参拝日 令和4年10月18日 男4人で、壱岐対馬を3泊4日で巡った。 博多港を出るとうねりは高かったが、ジェットホイルは約1時間で壱岐の芦辺に着船した。遣…

中部横断自動車道にブドウの秋

遡行して甲斐は山国ぶどう狩り この夏、中部横断高速道が全線開通して、静岡と山梨が結ばれた。難工事で計画より何年か遅れての開通となった。正確に言うと、開通したのは、新東名新清水JCTと中央高速双葉JCTの間約75km。この一部が未開通だったのが今回供用…

小島陣屋跡を見にいく

鵙猛る古城虎口の石垣に (陣屋には珍しいという 枡形虎口(ますがたこぐち) 陣屋はこの上部にある。) ( 虎口とは小口とも書き入口のこと、枡形により進路が鍵の手のように屈曲している) 天気がいいのでぶらぶらと、小島陣屋跡を訪ねた。 清水区興津の海…

こまい(氷下魚)は叩いて食べる?

磯近く僅か家あり氷下魚干す 厚岸の霧多布から電話が来た。 「こまい(氷下魚)送ろうか?干物だ。こっちの酒のつまみだよ。 「ただし、本当に硬いよ!金槌でたたいて柔らかくして、尻尾のほうから皮をむいて・・・ 「??・・・面白そうだね。送ってくれる…

秋晴れの富士山宝永火口

天高し山巓遠し道嶮し (宝永火口の縁から山頂を仰ぐ) 先日友人らと4人で富士山ハイクにでかけ、絶好の秋晴れに恵まれた。 ところが、この日は秋の3連休、しかも夏山シーズンの入山規制が終わり、マイカーで新五合目まで入れるとあって、予想以上の混雑だ…

信州は遠山郷の霜月祭りを見に行く(シリーズ風景の中へ6)

信州の南端、遠山郷といわれるかつて秘境と呼ばれた郷がある。(今も、道路はお世辞にもよいとはいえない。) この郷に、霜月祭りと呼ばれる湯立神楽が古くから連綿と伝えられている。10社をこす神社がそれぞれ幾分違った様式で祭を執り行っていて、この時…

畝傍山と橿原神宮(シリーズ風景の中へ2)

奈良に「観光」にいっても、いつも時間がないため、定番どころの寺社を回って終わりとなるので、たまには自由に、と今回は予定をたてず、いきあたりばったり。 まず、橿原神宮を参拝。(明治23年に神武天皇を祭神に創建されたもの) 次に橿原考古学研究所…

砂丘:砂の美術館 (シリーズ風景の中へ1)

鳥取の砂丘に行ってきた。 本邦ではこんな風景はほかでは見られない。広々していて心が自由になる。ラクダもいる(もちろん観光用)。馬の背といわれる丘は約50mの高さがあり、足が滑って登るに難儀した。砂丘は1年に5センチほど移動するのだそうだ。 …