砂丘:砂の美術館 (シリーズ風景の中へ1)

鳥取砂丘に行ってきた。
本邦ではこんな風景はほかでは見られない。広々していて心が自由になる。ラクダもいる(もちろん観光用)。馬の背といわれる丘は約50mの高さがあり、足が滑って登るに難儀した。砂丘は1年に5センチほど移動するのだそうだ。
啄木の歌が思い出された。・・・少しセンチすぎるが。
砂山の砂に腹這い 初恋の いたみを遠くおもい出づる日
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キリスト教などは砂漠の宗教といわれる。
これに対し日本では山や川や岩や大木に神が降り、宿ると思われそうした聖地が社になっていった。砂漠とは違うが砂丘はどうなのか、神聖視された事例があるのか?ざっと調べただけだが、砂丘に社がある例は見つけられなかった。もう少し調べてみるが、少しはあってもよさそうなものだ。砂丘の美しさを見ているとそう思えてくる。(砂浜、渚は神のより来る聖地である。)
 
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砂の美術館があって、ここは驚いた。
巨大な砂の像が何体も、しかも10ヶ月も崩れもしないで展示されている。
雪像と似て永久でないのがいい。毎年テーマを決めて、世界のアーチストが集まって製作するということだ。
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