駿河の七観音を巡るー2 法明寺

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駿河七観音の発祥の地は、静岡市足久保にある高福山法明寺だといわれる。いまは曹洞宗の寺である。東海道から15キロほど安倍川および支流の足久保川をさかのぼった山村だが、静岡は南アルプスまで奥が深いのでまだまだこの辺りは山の入り口である。

 

2020年1月に寺を訪ねた。ここまで来ると、市街地とは打って変って静かな谷間の風景が広がっている。寺は川筋の道路から一気に50mほど上がった見晴らしの良い山肌に切り開かれた茶畑の中にあった。何故こんな辺鄙な場所に、由緒ある寺があるのか?と素朴な疑問がわく。

 

さて、この伝説の本をさがすと「新版 駿河の伝説」*1に「法明寺の楠」という話があり、またその変化したものがいくつか記載されていた。出典が記されていないのだが編者の小山枯柴さんは「葵文庫」所蔵の江戸時代の書物から採話したようだ。*2

 

この本によれば基本的な伝説は次のようなものである。

安倍郡足窪村に高福山法明寺という寺がある。養老年間にこの村に大クスがあった。クスは毎夜光を放った。養老7年(723)僧行基は東遊の時、この奇瑞を聞き、この大クスを伐って観音7体を彫刻した。この寺の本尊はその一つである。後年寺が焼失したとき、この像は煙の中を抜け出てはるかに飛んで草の中にあった。

これに加えて、

行基が来た理由を聖武天皇の病気治癒とする話、また巨木は伐ると血が流れ出るので、行基が祈って鎮めたという話、またいくら伐っても夜になるとまた元通りになるので切屑を焼きながら伐ったという話など、いろいろな要素が混入して複雑になってくる。

(小山枯柴編著「新版 駿府の伝説」羽衣出版 (静岡県の伝説シリーズ⑥))

 

法明寺は大きな杉の参道を上ると仁王門がまっている。ここの仁王さんがどういう訳か数十センチしかない小柄な像なので微笑ましい。本堂を脇に見て、石段の奥に進むと、木立に隠れて観音堂がある。中はよく見えない。七観音のいわれを刻した石碑や行基の石碑がある。今はもうクスノキは見あたらない。檀家も少ないだろうし寺の維持も大変ではなかろうか、などと余計な思いが頭をかすめる。

 

f:id:zukunashitosan0420:20200214201115j:plain観音堂

さて、この伝説集には神木、巨木が出てくる。ただ大きいだけではなく、光を放つとか、切ろうとしたら血が流れ出たとか、伐っても夜になるとまた傷が元のようにふさがったとか、奇怪な話が多い。

川筋は異なるが藁科川の奥、清沢にも巨木の怪異な伝説が伝わっているという。

神社の大杉の精が、村の美しい乙女千代姫に焦がれて、夜な夜な美少年に姿を変えて通った。怪しんだ親が麻糸を綯って娘に渡し、それを男の裾に縫い付けさせた。翌朝糸をたどると大杉の空ろに続いていたので、親はこの木を伐らせた。ところが伐った木端は夜になると木に戻り元通りになるので、伐り倒せない。そこで木端をすぐに焼き捨ててようやく倒した。その材で空ろ舟を作り、大水の時に姫を乗せて流した。空ろ舟は伊豆まで流れたが大風に吹き戻されて安倍川を上って船山に鎮まった。*3

と、要約すればこんな風である。船山は藁科川に今もある小島のことである。空ろ舟とはまた実に神話的なエピソードである。

 

そのほかにも、この「新版 駿府の伝説」を読むと大木の精霊が沢山出てくる。およそ古代の山々は、古事記の表現を借りれば「さばえなす」神々であふれていたのだろう。 

f:id:zukunashitosan0420:20200214201241j:plain行基の碑)

霊木を行基という仏教の僧が伐り、仏像に仕立てたということは、在来のアニミズムの神々を仏教が支配し、その霊威を保持しながら仏教の神に吸収したと理解できるのかもしれない。自然界の精霊のいわば神仏混交といえるのかもしれない。しかもその時期が、行基聖武天皇のころとなると、国中に国分寺を作らせたり大仏を作らせたりして民をいわば教化した頃に当たる。こうして土地の精霊たちは金ぴかの仏像に隷属していくことになる。(七観音像が金ぴかだったわけではないが)

 

素人の思い付きだが、七観音は、東国駿河に跋扈する山地の精霊を、仏教(といっても密教的な呪術的な宗教)が支配・吸収していく過程で生まれたものではなかろうか。巨木を刻むということの象徴的な意味は、その辺にありそうな気がしてくる。今後の観音寺巡りで徐々に理解していきたい。

 

法明寺の御開帳は、6年に一度とも聞く。来年がその年に当たるかもしれないので、その折に参拝したいものだ。今回はご本尊も脇仏さんも映像がない。いずれフォローするつもり。

*1 小山枯柴編著「新版 駿府の伝説」羽衣出版 (静岡県の伝説シリーズ⑥)

*2 葵文庫 徳川幕府の文書を保管しており静岡県立図書館に所蔵されている。

 なお、同図書館にレファレンスしたところ、「駿河記」(1820年)「駿河国風土記」(1834年)などに書かれているとのことです。私は原典は読んでいません。

*3 「新版 駿府の伝説」の143p 「うつろ舟」から