一の宮めぐり63 倭文神社(伯耆の国:鳥取県)

倭文神社(しとりじんじゃ)
所在地 島根県東伯郡湯梨浜町
祭神 建葉槌命(タケハツチノミコト) 
配神 下照姫命 ほか
参拝日 平成29年6月


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鳥取県は東部が因幡(いなば)、西部が伯耆(ほうき)の国である。
伯耆の国の中心はやや内陸に入った倉吉で、商工業で栄え、現在も川沿いの蔵の風景が観光客を集めている。倉吉の市街地から10キロほど日本海にむかうと、東郷湖という美しい湖があり、湖畔には羽合(ハワイ)温泉があり湖岸も整備されていて、都会では考えられないほどの広い空間とのんびりした時間がある。寿命が延びる気がする。
 
さて、伯耆一の宮は「倭文神社」。東郷湖の東の丘陵に鎮座している。
細い道を山門に向かうと、名前のイメージとは異なり、質朴な印象の社であった。しかしそれがかえってある種の品格をもたらしているように思えた。境内には天を突くような杉、モミの木、それからタブの大木がみられ、ここにも悠久の時間が流れているようだ。一組の参拝客をみかけただけの静かなお社であった。
 
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「倭文」とは、シツ、シヅと読んで、
「万葉時代に広く知られた織物であった。
栲・麻・苧などの横糸を染めて織ったものだといわれ、中国渡来の「アヤ」に対してわが国独自のおりものであった」
しかし実物が無いため、具体的な繊維も染めも分っていない、幻の織物である。各地で再現しようという試みがなされているニュースを耳にする。

「倭文」(しつ)なるものを、一度目にしたいなと思う。これは横糸を染めて織ったものといわれ植物繊維、絹のいずれの説もあるが、カラフルな縞模様だったと想像したい。
ただ織物というと私には、越後縮を雪の中で織る牧之の「北越雪譜」、佐渡の鶴の恩返しなど、神聖にして過酷、秘匿されたやや暗い世界が思い浮かぶ。
はたしてこの山陰の倭文部の機織女たちはどんな生活をしてたのだろうか。

( 倭文織りの参考になるウェブがあったので、かってにリンクさせてもらう。

この倭文おりは、万葉時代にはすでに古風で神秘的なものと解されていたようで、宗教性が高い神聖なものとされ、倭文を織ることもまた聖なる営みだったようだ。「古代のわが国には、渡来系の絹織り集団以前から、古来の植物繊維で伝統的な神事に使う布、「倭文」(しつ)を織る集団があり、その集団の神があった。」したがってこの神社の鎮座地には、祭祀用織物生産にたけた人たちがすんでいた。
と野本寛一氏は考察している。
 
さて、
倭文神社」はこうした「倭文」(しつ)を織る集団の神であり、この名をもつ神社は全国的に分布している。平安時代の「延喜式神名帳」には12社が掲載されているという。いずれも機織の神である建葉槌命(タケハツチ)を祀る神社である。
 
この一の宮もタケハツチ命ヲ主祭神としている。
ところが、「社名であるしとり神と織物に関する伝承は皆無である。」反面、「下照姫命にまつわる伝承はこの地の周辺に色濃く分布する。」(川上廸彦:下記)
 
神社の由緒書では、
下照る姫は大国主命の娘で、出雲から海路、従者とともにこの地にいたり、死去するまで安産の指導に努力し、農業・医薬の普及に尽くした。創立当初はこの地の主産業がしずおりの織物だったので、しとり部の祖神タケハツチ命を祀っているが、当地と関係の深い下照る姫など大国主と関係の深い神々を祀っている。
としている。
 
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(下照姫の安産石)
参道脇に安産石なるものも安置されていて参拝祈願も大方は安産祈願だとのこと。
倭分神が忘れられ下照姫命のみが伝えられてきたのは、倭文部の居住地に出雲系の人びとが移住したからではないかと想像される。」(川上廸彦:下記)
 
出雲に属する集団が移住してきて、この地の在来住民支配し、それまでの倭文織り文化を駆逐したかのような印象も受けるが、よく分らない。いずれにせ、機織・安産という女性の重要な仕事に深くかかわってきた神社であり、それだけ女性労働を大切にしたという背後の事情を汲むことが出来そうである。
 

さて、話はすこし横道にずれるのだが、
静岡という地名は、その裏手にある丘、賤機山(しずはた山)に由来する。賤機とは、倭文機であり、古来わが国の織物のことである。実際賤機山麓に鎮座する静岡浅間神社の、神部神社浅間神社には倭文機神社の祭神である「栲機千千姫」(たくはたちぢひめ)が合祀されている。(野本寛一:下記)「栲機千千姫」は日本書紀に登場する織物の神であり、いわゆる天孫降臨をしたニニギノミコトの母である。
また静岡の地には、麻機、服織などの地名も残っている。とすると静岡はさまざま素材による繊維産業の町だったのかもしれない。

 
(参考:「倭文神社」 川上廸彦 『日本の神々』神社と聖地7
    「静岡浅間神社」 野本寛一 『日本の神々』神社と聖地10