黄泉への入り口?を訪ねる

夕焼けや黄泉比良坂(よもつひらさか)逃げ降りよ
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(猪目の洞窟・・・夢に見ると必ず死ぬ)

グロテスクの語源となった「グロッタ」は洞窟のことであり、ルネッサンス以降、庭園づくりの要素として人工の洞窟が盛んにしつらえられたらしい。グロッタにも、冥界への入り口とか地母神というある種おどおどろしい観念があった。洞窟に感じるこうした畏怖に似た感情は、万国、人類史上ほぼ共通しているようだ。
 
出雲の旅では、山陰の有名なグロッタ「加賀の潜戸」と「猪目の洞窟」を訪ねた。
 
「猪目の洞窟」は、出雲大社から急峻な裏山を越える細い山道を7,8km。日本海に面した猪目の集落はまさに限界集落に見えた。洞窟は部落のはずれにあり、数隻の漁船をつないだ小さな入り江の奥に口を広げていた。この入り江の上を道路がまたいでおり、気づかずに通り過ぎてしまいそうだ。船置き場なのでいささか雑然としていたが、入り口に近寄ると小さな祠もみえる。入り口は狭そうで冷気が漂っている。
この洞窟は、出雲の国風土記にでてくる、脳(なづき)の磯の洞窟だとされている。
「磯から西のほうに窟戸がある。・・・窟戸の内部には穴があるが、人は入ることはできない。どれだけ深いかわからないのである。夢の中でこの岩戸の近くまで行ったものは、必ず死ぬ。だから世人は昔から今にいたるまで、これを黄泉の坂・黄泉の穴とよびならわしている」
古代史学の辰巳和弘氏は、その穴に入り、腹ばいで1人が通れるほどの穴の奥を進んだが、怖くなって引き返したと書いている。(「黄泉の国」の考古学)私にはとてもそこまでの勇気は無い。
 
洞窟の足下からは、さまざまな遺物が出ており、人骨も13体以上、特に注目されるものとしては,南海産のゴホウラ製貝輪をはめた弥生時代の人骨や,舟材を使った 木棺墓 に葬られた古墳時代の人骨などがあるという。「おそらく神ムスビ奉斎の巫女などの遺骨であろう」(「風土記)解説)。だれが何を祈ったのだろう。
気味が悪くなって、早々に引き上げることにした。
 
加賀の潜戸」は小泉八雲でも有名な海中洞窟で、松江から山越えで約15kmある。この洞穴もあの世とこの世を思わせるらしい。
観光遊覧船が出ているので、港までいってみたのだが、なんと風のため運行中止!だった。がっかりして会社の人に聞くと、西からの風だと洞窟内は波が立って船は入れないのだそうだ。「髪の毛3本動かす」風が吹くと船は出ない、と八雲も書いている。あきらめるしかない。
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(よもつひらさか・・・碑や看板があり駐車場も整備されている)
 
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(こんな看板も?)
さて、
国道9号を松江から出雲に向かって走らせていたとき、途中で「黄泉比良坂」の看板が目に入り立ち寄った。9号から2、300mほど入った丘の上であった。石碑と看板が出ていて、駐車場も整備されていた。立ち寄る車もあって、マイナーだが寂れたところではない。

ここは、誰もが知る記紀の神話の舞台である。
イザナキがイザナミをもとめて黄泉の国にゆき、そこで恐ろしいイザナミの姿を見てしまい、追い来るイザナミから逃げて、大石で塞ぎとめた所である。古事記には、その地を出雲の国の伊賦夜坂(いふやさか)だと書いている。近くの国道9号沿いに「揖夜(いや)神社」が鎮座しており、主祭神イザナミ尊である。すなわちこの辺りが黄泉と現世の境となる、ヨモツヒラサカだとされている。
神話の中の架空の世界とおもっていた舞台が、正にここであり、今その場所に自分がいる、とおもうと空を越えた錯覚めいた覚束なさの感覚に陥ってしまう。
まこと、出雲には黄泉の国への入り口がたくさんある


(参考:「風土記」吉野裕訳 平凡社ライブラリー

   「「黄泉の国」の考古学」」辰巳和弘 講談社現代新書