「人穴」に入る (富士山世界遺産)

秋うらら富士風穴の闇に入る

人穴、というのは富士山の西麓、富士宮市の人穴部落にある風穴のこと。世界遺産の構成資産になっていて、休日にはガイド付きで見学できると聞き友人と出かけてみた。酷暑が一転して朝霧高原はさわやかな秋の空、富士山はススキ原から雲の上にそびえたっている。標高も高いので気温が20度だった。

 

この穴は角行という修行者が籠って悟りを開いた聖地であり、彼は江戸時代から盛んになった富士山登山、いわゆる富士講の生みの親ということだ。角行自身が1646年にこの穴で大往生しているとも言われている。

 

さて、事務所で説明を聞きヘルメットと軍手をつけてぼっかりあいた暗い穴に入る。

穴は奥行きが約80mだが、頑強な通路が設置されていて、約30mまでしかはいれない。世界遺産保護のためなのだがいささか興をそぐ設備だ。気温は10度、吐く息が白い。内部にはろうそくが灯されていて、通路の先の奥にぼんやりとコノヒメサクヤ姫の小像があった。ガイドさんが言うには、現在でもある宗教団体が日曜ごとに参拝に来てろうそくを灯すのだという。水がぽとぽとしたたりとても一時間でも居れる場所ではない。

 

穴の周辺にはたくさんの堂塔が立ち並び、墓地のように見えるが、「墓ではないんです、骨は入っていない」とガイドさん。どうやら富士講の先達(案内役:教えの指導者)の顕彰碑のようなものらしい。これもまた世界遺産である。

人里離れた山麓の奥地にあったため、さまざまな奇譚を生んでいる。古くは「吾妻鏡」に源頼家仁田忠常に調査を命じ、仁田は1203年、従者5人を連れて穴に入り、松明をつけて進むうちに大河が現れ怪異な光が現れて、従者が倒れてしまい、忠常は太刀を川に投げ入れ命からがら生還した、というもの。少しオーバーな噺となっている。尾ひれが大きくなって、この穴が江の島までつながっているという話まで流布したそうだ。

また、家康が信長を案内したという逸話もあるが、私は真偽のほどは分からない。

 

私が直感的に思うのは、穴に対する恐れは、これが墓地であって遺体を収めた黄泉の国だったからではないか、ということだ。有史以前から周辺の住民が墓地として使用し、ために近寄ってはならないという口伝が尾ひれをつけ様々な怪談を生み出した、ように思えてならない。ただしこの人穴から骨が発掘されたという調査があったとは聞いていない。

私が行ったことのあるものでは、出雲にある黄泉の穴といわれる「猪目の洞窟」、安房神社の洞窟遺跡なども近寄ってはならない墓所であった。

しかし溶岩流からできた風穴は富士山周辺にたくさんあり、洞窟は後世、お蚕さんや倉庫などに活用され、現在は山梨県側では重要な観光地となっていて賑わっている。鳴沢の氷穴、富岳風穴、蝙蝠穴、などはこの日もたくさんの人出だった。

それに反して静岡県側はいたって静かなものだ。この世界遺産の人穴でも当日見学者は我々以外に二人だけ。県民性の違いがはっきりしている。いいのか悪いのか?

 

富士講といい、富士山の信仰の廃仏毀釈がどういうものだったのか、今さらながら知らないことばかりだ。