初富士や駿河に寄する波の花
(三保の浜から暮れ近き富士山)
初詣は元日の午後、清水三保の御穂神社に詣でた。
言うまでもないが三保の松原と富士山の景勝は世界遺産。浜には初日の出を見ようと多くの人が集まってくる。車は大渋滞する。私が訪れたのは午後も2時を回っていたが、浜には新年を楽しむ多くの人がでていた。風もないさわやかな浜である。富士山は雲に見え隠れだったが、いかにも大きい輪郭を空に描いている。
浜の松原は三万本ともいわれるが、伝説の「羽衣の松」は太く黒々と枝を伸ばしていて、現在は3代目だそうだ。この松から御穂神社までは直線で500mも続く素晴らしい松の並木道になっていて、称して「神の道」という。これは参道ではなく、神の通られる道であって神は海から来られてこの道を通られ、社に入られる、のだという。
(神の道 500m近く続く)
でも、いまは参拝者(特にこの日はカップルが多かったが)の道である。この「神の道」だけでも参拝するに価値がある神社である。私も全国の一の宮を巡ったが、これに匹敵するものはない気がする。
参拝は鳥居から並んで順番を待ち、10分はかかった。両側に屋台が出ていて、つい何かを買いたくなる。子どもがせがんで泣くのもまあ当然かもしれない。
さて、御穂神社の祭神は、大己貴命 (三穗津彦命) 三穗津姫命。
「創建の時は不明であるが、千古の昔より、三保の中心に鎮座し、三保大明神 とも称せられ、国土開発の神、海の神と崇められると共に天から天女が 舞い降りた「羽衣伝説」ゆかりの社としても名高く朝野の崇敬を あつめた延喜式内社である。」と神社の由来看板にはある。
「神の道」をまっすぐに海へ延長すると、「その線は伊豆半島にも御前崎にもぶつからず、両者のまんなかを太平洋にむかってぬけてゆく。その彼方は神の国「常世」であり、松並木は常世の国から神が来臨する「神の道」なのである。」(野本寛一「日本の神々」10)
富士を仰ぐ浜、そして松並木へつづく佇まいは、神の来臨を表現した素晴しい神域構造である。人はここに入ると、この構造の一部となってしまうようだ。
千古の昔、海から来臨した神とはなんであろうか、とつい考えたくなる。海から来る神と言えば、海神(わたつみ)の神であろう。それは常世の龍宮、ニライカナイの神であり、海の豊饒の神であり、航海の安全を守る神といわれている。
しかしここに羽衣の天女がからんでくると頭が混乱する。
(3代目の 羽衣の松 :まん中の樹)
海神の神は、水平線の彼方から来る水平の霊威である。だが天女は天から舞い降りる、垂直の霊威である。
このふたつは矛盾するので、おそらく御穂神社の神格と天の羽衣とは、もともとは別のものだったように、私には思われる。
羽衣の松の近くに、羽車神社という摂社が鎮座している。私は以前は気づかなかったので、恐らく石の祠ていどだったと思われるが、最近は少し立派に整備されて、浜に来た人々が手を合わせたりしている。羽車とは奇妙な名前だ。
竹取物語のかぐや姫は天人が迎えに来た「飛車」に乗って羽衣をまとい去っていった。飛車と羽車。何か共通性がありそうだ。
もう一つ。羽衣といえば、御穂神社から西に8キロほどに、その名も「天羽衣神社」がある。この社の祭神は天女であり、素朴な羽衣伝説が伝えられている。そうして古代朝廷いらい、駿河舞いという芸能が伝えられているといい、その歌詞は次の通りだ。
や、宇度浜(うとはま)に 駿河なる 宇度浜に 打ち寄する波は 七種(ななぐさ)の妹(いも) 言(こと)こそ佳(よ)し
言こそ佳し 七種の妹 言こそ佳し 逢へる時 いささは寝なんや 七種の妹 言こそ佳し
これが、三保の松原の天の羽衣と同じものなのだろうか。そんな気もする。
でも一体、空から舞い降りた天女とは、何なのだろう。美しい鳥から空想したのだろうか?迦陵頻伽という半身は人間、足は鳥で、極楽で美しい声で歌う空想の生き物がいるが、これは鳥と天女の中間の感じがする。
三保からの帰り道、運転中にいきなりラジオから「緊急地震放送!」の大声が入って、度肝を抜かれた。まさかこんな大災害とは思いもしなかった。初詣の余韻もいっぺんに吹き飛んでいった。羽衣も頭から消し飛んだ。
被災された方々の一刻も早い復旧を願うばかりだ。