木枯しや吹き上げて消ゆ富士の嶺
富士山が世界遺産に登録されて10年。これにちなんだ「三霊山学術フォーラム」という静岡県主催のイベントがあり、先日聞きに行った。
三霊山とは、立山、白山、富士山をいう。ご存じの「風の盆」の唄、越中おわら節の後囃子に、次のよく知られた囃しがある。
私もこの節を胡弓に合わせて唄いたいのだが、なにせ難しく、またキーが高くてだめ。低い声ではあの祭りの雰囲気が出ない。
イベントの発端は、静岡県知事が元総理の森喜朗氏に会った折に、三霊山をテーマに地域が連携して発信するアイデアを森氏から提案されたことにあり、各県知事に呼びかけてフォーラムを立ち上げたものだという。発想は面白い。
著名な大学教授が3人出演したが、残念ながら、フォーラムは消化不良な内容でがっかりした。
「禅定」という言葉がある。
辞書では「心を一点に集中し、雑念を退け、絶対の境地に達するための瞑想。」の意味だという。けれど「富士山、白山、立山などの高い山に登って、信者が修行すること。」(精選版 日本国語大辞典)という意味もあり、しばしば出てくる言葉で、登拝することとかそのルートとかなどに使われているようだ。
だがネットで見ていると、かつて、この三山をめぐる「三禅定」という修行というか登拝があったようだ。私は今回初めて知った。三山はいずれも民間信仰の篤い山であり、江戸時代には盛んに登られたが、この三山を個別ではなく連続して登拝するということのようだ。
加藤基樹氏の「「三禅定」考」というネットでの資料を読むと、江戸時代に主に尾張、三河地域の人々が行ったもので、今日では完全に失われた習俗、とのこと。しかし池大雅も1760年に行っているという。三禅定という習俗は、まだ研究が進んでおらず資料の掘り起こしの段階であるという。
ちなみにこのフォーラムでは、三禅定については全く触れることがなかった。
思い起こすのは、「トランスジャパンアルプスレース」と呼ばれる山岳耐久レースだ。富山県魚津市から太平洋側の静岡県静岡市まで約415kmを北アルプス・中央アルプス・南アルプスの山々を縦断するという途方もなく厳しいレースだが、三禅定もある種こうした長距離トレイルランに似たものかもしれない。
三禅定のロングトレイルランをやったらどうか、などと無責任なことは思わないが、こうした庶民の長旅が許されていた歴史がもっと掘り返されたら、面白いものだ。そうしたテーマにも、このフォーラムが取り組んでくれたら面白そうだ。
直感だが、主に三河や尾張の人々がグループを組んで行っていた、ということの理由だが、この地域は伊勢に近いので、お伊勢参りでは非日常や旅を味わえない。だからより遠方のお山に向かうことで日常性を飛び出そうとしたのではないだろうか。今後資料があったら、いろいろ見ていくことにしたい。
斯く言う私は、富士山こそ登ったが、立山も白山も登頂していない。一の宮巡りで越中芦峅寺の雄山神社、加賀の白山ヒメ神社には詣でたことがある。それぞれ山頂に奥の院があるので、いずれはと思いつつ年月ばかりが流れ去る。